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【 じっくり映画館 】No.066

在りし日の歌


2019年  中国  185分

監督
ワン・シャオシュアイ

出演
ワン・ジンチュン
ヨン・メイ、ワン・ユエン
アイ・リーヤー
シュー・チョン
チー・シー、リー・ジンジン
ドゥー・ジャン

   Story
 1980年代から2010年代にいたる激動の中国を背景に、時代に翻弄された一組の夫婦の軌跡をたどるヒューマンド ラマ。主人公の夫婦を演じたワン・ジンチュンとヨン・メイはベルリン国際映画祭で最優秀男優賞、女優賞のダブル受賞を果たした。

 地方都市でヤオジュン(ワン・ジンチュン)、妻リーユン(ヨン・メイ)は一人息子のシンシンと平穏な暮らしを送っていた。
 しかしシンシンは、幼なじみのハオハオと溜池で水遊びをしている時に、溺れて亡くなってしまう。

 それから数年後、すべてのしがらみを断ち切って、夫婦は見知らぬ町に移り住み、シンシンと名付けた養子の息子と暮らしている。
 思春期のシンシン(ワン・ユエン)は反抗期真っ只中。学校で問題を起こし、家には寄りつかず、次第に親子の溝が深まっていく・・・。


   Review
 3時間ちょっとの長尺に恐る恐るの鑑賞だったけれど、ゆっくり流れる時間が少しも長くは感じられず、 30年に渡る現代中国の変遷とそこに生きる夫婦の歴史にじっくり付き合ったという手応えがあった。

 とはいえ過去と現在を自由に移動する構成は、馴れるまでがちょっと大変だ。
 たとえば冒頭、溜池で水遊びをする子供たちを男の子が2人高台で眺めている。やがて一人が水遊びに加わり、もう一人は高台に残る。 その後、大人たちが「シンシン、シンシン」と叫びながら慌ただしく溜池のふちを走る。

 そこに突然、明るい台所で親子が食事をする場面が挿入され、再び溜池に戻ってぐったりした子供を抱いた大人たちが古びた病院に駆け込む。
 こうして映画はシンシンの死を伝えるのだけれど、食事の場面で両親から「シンシン」と呼ばれる少年が冒頭の2人の男の子たちよりやや年長に見えるため、 時間軸でちょっと混乱させられる。


 映画は、中国が人口抑制を目的に、一組の夫婦に子供は1人と制限する “一人っ子政策” を押し進めていた1980年代から2010年代までの30年間が背景だ。

 主人公のヤオジュン、リーユン夫婦は国有工場で働いている。
 リーユンが2人目の子供を身ごもった時、夫婦はなんとか産めないかと悩むけれど、 それを知った計画出産委員会の副主任ハイイエン(アイ・リーヤー)によって強制的に堕胎させられる。

 病院で関係者に引き立てられるように無理やり手術室に連れていかれるリーユンの姿は、見るだけでつらい。 その上、手術の失敗で彼女は再び妊娠のできない身体になってしまう。
 そしてこの後、夫婦は最初の子シンシンを溜池の事故で亡くすのだ。

 この後、リーユンのリストラを機に小さな漁村に移り住んだ夫婦は、施設から引き取った養子を第2のシンシンとして育てている。 しかし思春期になると、シンシンは死んだ子供の身代わりであることに反発し、家を出ていく。

 この時の親子のやり取りが切ない。 身分証を要求するシンシンに、ヤオジュンは「本当のお前を返してやる」といってチョン・ヨンフーという彼の本名を書いた身分証を手渡すのだ。

 家を出ていくシンシンを戸の陰でそっと見送るリーユン。愛情を込めて育てたけれど、身代わりは嫌だ、という養子の心情を痛いほど分かっていたのだと思う。

 幾度も襲う喪失の痛みをじっと耐えて、寡黙にともに歳を重ねていくヤオジュンとリーユン。
 2人の俳優がじつにいい。ちょっとした言葉や仕草があまりに自然で、「そうそう、父や母がこんな風だった」とか「まるで私たち夫婦のことみたい」と思う。 こうしてヤオジュンとリーユンの半生が深い感慨を呼び起こす。

 シンシンの死が残した傷は、ヤオジュン、リーユン夫婦だけではなかった。
 計画出産委員会の副主任ハイイエンはリーユンと同じ日にハオハオを出産し、家族ぐるみの親しい付き合いだっただけに、職務柄リーユンの堕胎を強行したものの、 それは彼女の心にも深いトラウマとなるのだ。

 さらに、シンシンが溺死する直接の原因を作ったのはハオハオ(ドゥー・ジャン)だったのだ。 人にいえぬ秘密を抱えた苦しみは、大人になった後も重く彼にのしかかる。

 小さな修理工場を営むヤオジュンとリーユン、一方、ハイイエンの夫インミン(シュー・チョン)は不動産業で成 功し、成長し医師となったハオハオは、結婚して子供にも恵まれる。

 2組の夫婦は社会的には大きく差が開いたけれど、生きる上での苦しみや悲しみは変わらない。そんな彼らを見つめる眼差しが温かい。

 長い年月の後に、かつての良き友人、メイ・ユー(リー・ジンジン)夫婦に見守られて、故郷の町で両夫婦が再会するシーンは胸に沁みる。 そこにあるのはいたわりと悲しみを共有し、和解し合う両夫婦の姿だ。

 じつは私は家を出ていった養子のシンシンのことがずっと気になっていた。
 社会主義国家の中国にもこんな若者たちがいるの! と驚いてしまうほど、いかにも軽薄な不良グループとバイクで去っていったシンシン。 その後、死んだシンシンの身代わりではなく、自分自身として、ちゃんと生きていけているんだろうか・・・、と。

 それだけに恋人を連れてヤオジュンの営む修理工場に帰ってきた彼の後ろ姿を見た時、ハッとするほど安堵した。
 故郷の町に戻っているヤオジュンとリーユンに携帯をかけ、「シンシン」と自分から名乗る彼。 何度も携帯を代わりながら、嬉しそうに「シンシン」と呼びかけるヤオジュンとリーユン。

 養親のためにシンシンという名前を受け入れ、かつそこにいるのは、身代わりではない紛れもない自分自身である彼だ。そしてヤオジュンもリーユンもそのことを分かっている。
 今、家族の再生に立ち会っている・・・、そんな感動で静かに深く心が揺さぶられた。
  【◎△×】8

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