Story 心に問題を抱えた女性の孤独や苦悩を描き、芥川賞候補になった赤坂真理の同名小説の映画化。 主人公の心情を字幕で挿入するというユニークな手法を用いている。 31歳のフリーのルポライター早川レイ(寺島 しのぶ)は頭の中で聞こえる声に悩まされ、不眠や過食、“食べ吐き” を繰り返している。 冬のある夜、コンビニで見かけた男(大森 南朋)に惹かれたレイは後を追い、誘われるままトラックに乗り込む。 彼は岡部という長距離トラックの運転手だ。警官にアイドリングを注意された2人は公園に移動し、後部座席で行きずりのセックスをして一夜を過ごす。 翌朝、トラックから降りたレイはすぐ戻ってきて「私を道連れにして」という。岡部はレイを乗せて、次の目的地の新潟へ向けて走り出す・・・。 Review タイトルの “ヴァイブレータ” (振動するもの) は、携帯を意味しているらしい。ああ、それで・・・、と思い当たった。 映画冒頭で、ヒロインのレイの携帯がプルルル・・・と振動するシーンがある。深夜のコンビニでトラック運転手の岡部がすれ違いざまにすっとレイの尻に触った時だ。 レイには頭の中で勝手にしゃべる声が聞こえるという悩みがあって、この時も、コンビニで岡部と目が合った途端「食べたい、あれ、食べたい」という声が聞こえるのだ。 そして胸ポケットの携帯の振動。 それは岡部に感応したレイの心の震え (ヴァイブレーション) だったに違いない。 こうしてレイは岡部の誘うままにトラックに乗り込み、後部座席でセックスする。 普通はちょっとありそうもない成り行きなのに、さほど違和感もなくすっと入り込んで見てしまうのは、レイの病んだ感じ、恐ろしいほどの孤独感が、 彼女の体全体からにじみ出てくるからだろう。 大胆なセックスシーンが当時話題になった映画だけれど、さほど生々しさはなく、むしろ心の空白を埋めようとする切実さのほうが迫ってくる。 中年にかかったやつれた感じと、童女のような愛らしさを混在させた寺島しのぶが魅力的だ。 朝、一旦トラックから降りたレイがすぐに戻って、「私を道連れにして」と再びトラックに乗り込む。 こうして次の目的地の新潟に向かって2人の旅が始まる訳だけれど、この「道連れにして」という言葉、けっこう怖い。 「ちょっとその辺まで乗せてって」というような軽い響きじゃない。私の人生、一緒に背負って、みたいなドスンとくる重さがある。 でも岡部はあっさりOKする。 彼はこれまでかなりヤバイ仕事を渡り歩いてきた男のようだけど、それをちゃんとヤバイと認識する健康さを持っている。それに加えてなんともしれぬ懐の深さ。 レイはそれを優しさと受け止めるのだけど、これはある意味、男の理想像といえるんじゃないかな・・・。 旅の途中、これまで普通にやっていた “食べ吐き” ができなくて、頭を叩いてうずくまるレイの姿が哀れで、 それをホテルの浴槽でしっかり抱き止める岡部の優しさが切なくて、淡々とさりげない大森南朋の自然体の演技がいい。 岡部は旅のはじめに、妻子がいるとレイに告げる。予防線を張ったようにも見えるけれど、一方でそうした地に足がついた生活感がたしかに彼にはある。 ところが旅の終わり近く、岡部はそれは「嘘」だという。そして、ずっと一緒にトラックに乗ってもいいよ、とも。 これはレイの人生を引き受ける、ということだろうか。 レイの「道連れにして」という最初の言葉を思い出したり、岡部のいう「嘘」というのがそもそも嘘なんじゃない? と思ったり・・・。いろんな想念が湧く。 しかし、レイはただ「ありがとう」と答えるだけだ。岡部と心が通い合い、孤独がほんの少し癒やされて、自分の足で立ってみようという気持ちになれたのかな・・・。 元のコンビニに戻り、トラックから降りたレイを見つめる岡部の顔・・・、万感の思いが溢れた大森南朋、うまいなぁ〜。 夜の闇に消えていくトラックをじっと見送るレイ、そして再びコンビニ店内に入ったレイの微妙な表情の変化、寺島しのぶもうまい。 この先2人はそれぞれに都会の雑踏に紛れ込み、もう再び会うことはないだろうと思う。深い余韻が残るラスト、ちょっと変わったラブストーリーだった。 【◎○△×】7 |