HOME50音表午後の映画室 TOP




複製された男


2013年  カナダ/スペイン  90分

監督
ドゥニ・ヴィルヌーヴ

出演
ジェイク・ギレンホール
メラニー・ロラン
サラ・ガドン
イザベラ・ロッセリーニ
ジョシュ・ピース

   Story
 ノーベル文学賞受賞のポルトガル人作家、ジョゼ・サラマーゴの同名小説を、 『灼熱の魂』『プリズナーズ』のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が映画化したサスペンス・ミステリー。
 ある日偶然、自分と瓜二つの俳優がいることに気づいた教師が、しだいにアイデンティティの危機に陥り、思わぬ 運命をたどっていくさまを描く。

 大学の歴史講師アダム(ジェイク・ギレンホール)は、ある日、同僚から薦められた映画を見ていて、 端役の中に自分とそっくりの俳優(ジェイク・ギレンホール二役)を発見する。

 あまりに似ていることに驚愕したアダムは、その俳優について徹底的に調べて、アンソニーという名前や住所までも突き止める。
 ついに対面した2人だが、外見のみならず、胸の傷痕まで何もかもが同じだった。

 もう一人の自分の存在に気づいてしまったアダムとアンソニー。
 自己像が揺らぎ、それぞれの妻や恋人をも巻き込んで、事態は思いも寄らぬ方向へ向かっていく・・・。


   Review
 なんかとっても不思議な映画を見たという感じだ。見終わって考えると、映画自体が大きなトリックだったような気もする。 だとすれば、私は最後の最後まできれいに騙された、と思う。

 ところで、自分に何から何まで瓜二つの人がいたとしたら、一体どんな気持ちになるのだろう。

 若い頃、私は「あなたに似た人が同級生にいた」とか「あなた、この間、〇〇にいたでしょ」(と、行ったこともない場所で見かけた) とかいわれることがあった。
 そんな時、「私ってそんなによくいるタイプなのかな」と少々がっかりしたものだ。

 しかし、本作のアダムとアンソニーのように見かけどころか声や話し方まで同じとなると、これはちょっとレベルが違う。似た人どころの話じゃない。 やっぱり薄気味悪くなるんじゃないかな・・・。

 よくよく見れば、多少2人に違いはある。アダムは風采の上がらないしょぼくれた教師、 一方、アンソニーは売れない役者とはいいながらどこか油断のならなさを感じさせる。

 それでもだんだん見ているうちに、今画面でしゃべっているのはいったいどっちかな、とこんがらがってくる。 誕生日が同じなのは偶然だとしても、脇腹の傷まで同じ、は普通ではない。ますます「どっちがどっち・・・?」と不安になってくる。

 2人はひょっとして同一人物ではないだろうか・・・。としたら本体はアダムとアンソニーのいったいどっちだろう・・・。
 ストーリーのはじめから主人公として登場するアダムに感情移入して見ている私としては、アダムのほうだと思いたい。それにしては彼はあまりに生気がない。 ノイローゼ気味に見えるのが気になる・・・。

 映画冒頭で、アダムは母親(イザベラ・ロッセリーニ)に「そんなにブラブラしてるようだと将来が不安」といわ れる。
 大学教師ならブラブラしてることにはならない。ちょっと不思議な気がしていたけど、これをアンソニーに置き換えると辻褄が合う。

 中盤辺りでやはり母親が、アダムのことを「大事な一人息子よ、三流役者と一緒にしないで」というのも、 じつはアダムはアンソニーで、母親の言葉はアンソニー自身のひそかな自己卑下の表われと考えれば、筋は通る。

 そして何よりラストの、アンソニーの妻ヘレン(サラ・ガドン)の、「お母さんからの電話」という一言。 アンソニーとアダムは同一人で、本体はアンソニーだと思わないわけにはいかない。

 と筋をたどり直しても、やっぱり不思議な映画という印象は変わらない。
 人生に行き詰まり、「違う人生を歩んだら・・・」という夢想の中で、それまでの自分を事故死という形で消滅させたアンソニー・・・、 でも彼の変身願望は成功したといえるのだろうか。奇妙に無機質な都市の景観が不安感をかき立てる。

 ところで時々表れる “蜘蛛”。あれはいったい何を意味してるんだろう・・・? 見えない糸でがんじがらめにし、支配する女性 (母親、妻) の象徴・・・?
  【◎△×】7

▲「上に戻る」

 

inserted by FC2 system