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ふたりの女


1960年  イタリア  102分

監督
ヴィットリオ・デ・シーカ

出演
ソフィア・ローレン
エレオノーラ・ブラウン
ラフ・ヴァローネ
ジャン・ポール・ベルモンド

   Story
 アルベルト・モラヴィアの小説をヴィットリオ・デ・シーカ監督が映画化。
 第二次大戦下、山村に疎開した母娘がローマへの帰路に見舞われる悲劇を描いた戦争ドラマ。ソフィア・ローレン が米アカデミー賞とカンヌ国際映画祭の両方で主演女優賞を受賞した。

 第二次世界大戦末期のイタリア・ローマ。
 夫を亡くし女手一つで食料品店を営むチェジラ(ソフィア・ローレン)は、連日の空襲に、 娘のロゼッタ(エレオノーラ・ブラウン)をつれて生まれ故郷へ疎開することを思い立つ。

 留守中の店の管理を夫の友人ジョバンニ(ラフ・ヴァローネ)に託し、故郷の村にたどり着いたチェジラは、 ミケーレ(ジャン・ポール・ベルモンド)という青年と親しくなる。

 ドイツの敗色が濃くなったある日、敗残のドイツ兵が姿を見せ、ミケーレは道案内として彼らに拉致されていく。
 チェジラはロゼッタをつれてローマへの帰途に着くが・・・。


   Review
 マリオン・コティアールがフランス映画『エディット・ピアフ 〜愛の賛歌〜』(07) で米アカデミー主演女優賞を受賞した時、不思議な気がした。
 米アカデミー賞はアメリカあるいは英語圏の映画・俳優が対象で、そうでない場合でもアメリカが製作に関わっているなど、 広い意味でアメリカ映画が対象なのだと思っていたからだ。
 ところが驚いたことに、ソフィア・ローレンがすでに純粋のイタリア映画の本作でオスカーを獲得していた。

 イタリアといえば肝っ玉母さん。チェジラも気性が激しくて、少々粗野だけど、愛情あふれるおっ母さんだ。

 田舎の無知な女が、ローマに連れて行ってやるという言葉だけで年の離れた男と結婚し、生まれた娘を夫が死んだ後は女手一つで必死に育てている・・・。
 セリフで語られる来し方がありありとイメージできるのは、チェジラを扮するローレンのリアルな肉体の放つ力強さによるのだろう。

 撮影時26歳だったというけれど、13歳の娘を持つ母親役が少しも違和感がない。オスカー獲得も納得のバイタリティあふれる存在感だ。

 天使のように清楚で美しい娘のロゼッタもいい。疎開先で出会った頭でっかちの青年ミケーレに惹かれ、でも彼が母に恋してることも敏感に察している。
 理想主義の彼が並べる観念的な理屈をチェジラは歯牙にもかけないけれど、ロゼッタの若い心には響くのだ。思春期の少女らしい心の揺らぎが初々しい。

 一方チェジラは、ローマで店を預けてきた夫の友人ジョバンニの壮年の逞しさに惹かれている。
 でも彼女にとって今大切なのは、男のことより、娘を守ることのほうだ。

 チェジラがロゼッタをつれて生まれ故郷に疎開し、戦時下とはいえ、村での平穏な日々が綴られる。
 やがてムッソリーニのファシスト政権が倒れ、小さな山村にもドイツの敗走兵が現われて、連合軍も進駐してくる。 村に疎開していた人たちは元の土地に戻り始めて、チェジラとロゼッタもローマに帰ることにする。

 ロゼッタが、村の集会でミケーレの聖書朗読をちゃんと聞こうとしない母親の無神経さを批判したり、 ドイツ兵の道案内に立った彼を心配してなかなか出立しようとせず、チェジラを怒らせたりするのに微笑が湧く。
 母親べったりだった少女が、村の暮らしの中で初恋を知り、少し大人になったのだ。


 それだけに、終盤に起きる出来事はショッキングだ。 掌中の珠のように慈しんできた愛娘を集団レイプされたチェジラの悲痛、それにもましてロゼッタ本人の心も凍るような驚きと苦痛。
 戦争でいつも犠牲になるのは女性と、とりわけ子供だ。場所が荒廃した教会の中というのが何ともいえず皮肉だ。

 守ってやれなかったことを「許して」と何度も詫びるチェジラ、それも耳に入らず心が死んでしまったようなロゼッタの虚ろな目。見るのも辛いシーンが続く。
 追い打ちをかけるようにミケーレの死の知らせが届く。山中で道案内したドイツ兵に殺されたのだ。

 それを知ったロゼッタが号泣するのが印象的だ。より深い悲しみに出会った時、人は自分自身の檻から解放されて、感情が甦ってくるのだろうか。
 抱き合う母娘の姿が静かに遠ざかるラストに、強く生きるこれからの2人が見えるような気がした。
  【◎△×】7

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