HOME50音表午後の映画室 TOP




舞踏会の手帖


1937年  フランス  130分

監督
ジュリアン・デュヴィヴィエ

出演
マリー・ベル
フランソワーズ・ロゼー
ルイ・ジューヴェ
フェルナンデル
ピエール・ブランシャール
レイミュ

   Story
 フランスの巨匠ジュリアン・デュヴィヴィエ監督が、20年前の手帖を頼りに乙女時代に思いをさかのぼらせるヒロ インを描いた女性映画。ベネチア国際映画祭で作品賞を受賞した。

 フランソワーズ・ロゼー、ルイ・ジューヴェ、フェルナンデルなど当時のトップスターや名優たちが競演している。

 歳の離れた夫が亡くなり、若くして未亡人になったクリスティーネ(マリー・ベル)は、遺品の整理中に、ふと20年前に社交界デビューした時の手帖を見つける。

 そこには16歳の彼女にダンスを申し込んだ10人の男性たちの名前が記されていた。
 亡夫の秘書に調べさせると2人はすでに亡くなっていたが、クリスティーネは手帖を頼りに昔のダンスパートナーを訪ねる旅に出る。


   Review
 ある年齢に達した時、来し方を振り返ってみたい気持ちになるのは誰しも共通のものらしい。
 私の場合、子供の頃は父の転勤で学校や住まいが転々と変わり、成人してからは仕事の関係で遠方地で暮らすようになって友人たちとも疎遠になり、 40歳の時、ふと、これまでをたどり直してみたい気持ちになった。

 そんな訳で、若くして未亡人になったクリスティーヌが過去を手繰り直し、人生の再構築を図ろうと思い立ったのはそれなりによく分かる気がする。

 舞踏会の手帖、というモチーフがロマンティックだ。花の刺繍の白いフープスカートが翻り、時おり挿入される思い出の中の舞踏会の華麗さにうっとりする。
 ただでさえ美化されやすい過去がいっそう甘美なものになり、クリスティーヌは過去遍歴の旅に淡く甘い期待を抱 いたかもしれない、と想像させられる。

 ところがデュヴィヴィエ監督、そうは問屋が卸さない。20年という歳月が刻んだ残酷な現実を次々と彼女の前に繰り広げて見せるのだ。

 はじめに訪れたジョルジュは彼女への失恋がもとで自殺していた。
 痛ましいけれど、この出来事にはまだどこか若き日のロマンティシズムの香りが残っている。

 と思いたいところだけど、彼の母(フランソワーズ・ロゼー)に癒しがたい傷を刻んでいた。

 音楽家志望だったアランは司祭となって少年聖歌隊の指導をしており、詩人を目指していたエリックはアルプスの山岳ガイドになっている。 20年ぶりに再会したクリスティーヌにかつての想いを甦らせて懐かしんでも、2人とも現実に根を下ろした堅実な暮らしぶりだ。

 ロマンティックな詩を口ずさむ文学青年だったピエール(ルイ・ジューヴェ)はジョーと名を変え、クラブのオーナーだ。しかし裏ではギャングのボス稼業。 医学生のティエリー(ピエール・ブランシャール)は闇堕胎医となり、精神に変調をきたしている。かつての面影を失った2人の変貌はすさまじい。

 政治家志望で今は田舎町の町長のフランソワ(レイミュ)と、生まれ故郷で理容師をしているファビアン(フェル ナンデル)は本作のコメディ・リリーフだ。
 それでもデュヴィヴィエ監督は苦い味つけを忘れない。

 自信家で陽気なフランソワは、じつはならず者の養子に悩まされている。 ファビアンの誘いで町の舞踏会に参加したクリスティーヌは、かつての自分と同じ16歳の少女を見かけ、その初々しさに自分がもう若くはないと悟らされる。

 20年という歳月がそれぞれの人生に刻む年輪・・・、時は流れ、留まることも元に戻ることもない。そして同じように人生は過ぎゆき、人も変わっていく・・・。

 クリスティーヌは舞踏会の手帖を頼りに過去を経めぐって、人は今を生きていくしかない、ということをつくづくと知ったのではないかと思う、 人生とはそうしたものだと・・・。
 「今を生きる」ということは「今」という “現実” を大切にすることだ。 亡夫との暮らしに空虚を感じていたクリスティーヌは、自分がこの20年をきちんと生きていなかったことに気づいたのかもしれない。

 映画のラストで、彼女はかつて想いを寄せたジェラールの遺児を引き取ることにする。思い出の中に生きるのではなく、今という現実を母として生きることにしたのだ。
 ノスタルジーの中に人生のほろ苦さを描いた本作、マリー・ベルの高雅な美しさが素敵だった。
  【◎△×】7

▲「上に戻る」

 

inserted by FC2 system