Story 『ファーゴ』『マグノリア』などで知られるハリウッドの個性派俳優のウィリアム・H・メイシーの初監督作。 銃乱射事件で息子を亡くした男が、息子の遺した楽曲を歌うことで再生していく姿を描く。 大学で起きた銃乱射事件で息子ジョシュを亡くしたサム(ビリー・クラダップ)は、エリート広告マンの職を捨て、すさんだボート暮らしをしている。 2年後、別れた妻(フェリシティ・ハフマン)から息子が遺した自作曲のデモCDを渡される。じっと聴きいるサム。 遺品のギターを手に、サムは場末のライブバーで息子の曲を歌い始める。 その曲に引きつけられたミュージシャン志望のクエンティン(アントン・イェルチン)は、サムを説得して、2人はバンドを組むことになるが・・・。 Review やり手の広告マン、サムは難しいプレゼンを成功させ、大学生の息子を呼び出して祝杯をあげようとする。 ところが息子は30分後に落ち合うことにしたバーに現われない。テレビのニュース速報は息子の通っている大学で起きた銃乱射事件を報じている。 この導入は、溜め息が出るほど頻繁にアメリカで銃乱射事件が起きるだけに、巻き込まれた人たちの驚きと悲嘆を家族の側から捉えてリアリティがある。 2年後、サムはかつての面影はどこへやら、ヨレヨレのシャツ姿で湖のボートハウスで酒に溺れる暮らしだ。 息子を亡くした痛手はそれほど深かったのか、と思う一方で、それにしてももちょっとシャンとしてほしい、とついキツイことも頭をよぎる。 別れた元妻が、2年かけて整理した、と息子の遺品を届けに来ても、ボートハウスは狭くて置き場所がない、と断る始末。あー、ますます情けない。 ところがゴミ箱に捨てようとした遺品が息子の作った歌詞ノートとデモCDであることに気づく。 CDから流れ出る息子の歌声にじっと聴き入るサム・・・、 そこには若者の生きる悩みや不安が切々と歌われており、突然にその生を奪われた痛ましさがあらためてこみ上げてくる。 サムは息子のギターを爪弾きながら、彼の遺した曲をそっと歌ってみる。そしてライブバーで披露する。 その歌に惚れ込んだミュージシャン志望のクエンティンがバンドを組もうとサムに持ちかける。こうして淀みを漂うようだったサムの暮らし (と心) が動き出す。 ベースにドラムとバンド仲間も増え、重量感のあるキレの良い演奏、流れのいいメロディは、繰り返し聞きたくなるほど心地いい。 親子ほど年の違う若者たちに混じったサムのかっこいいこと! はじめは店内に14人いるうち10人は演奏者というほど閑散だったライブバーも、客で満杯になるほどサムたちのバンドは人気になり、やがてプロからも声がかかる・・・。 こうして映画は音楽を題材にしたヒューマン・ドラマのパターンを歩むと思いきや、中盤から徐々に明かされるサムの抱える秘密にはほんとうに驚いた。 そもそもクエンティンがボートハウスに訪ねてきた時の、サムのあまりの素っ気なさ。どうしてここまで頑なに心を閉ざすんだろう。 ライブで演奏する曲を「自分が作った」というのもそう。素直に息子の遺作といったらいいのに、バンド仲間だけでなく世間も欺く盗作まがいの行為だよ、と首をかしげてしまう。 それだけに、冒頭の銃乱射事件が単なるプロローグではなくじつは本作の核であることが分かると、サムの暮らしぶりや行動の謎がはじめて得心がいく。 じつは息子ジョシュは事件の被害者ではなく、加害者だったのだ。サムはその事実に向き合うことも受け入れることも出来ずにいたのだ。 ラスト、今度こそ息子の曲だと紹介してライブバーで歌を披露するサム。 最後に付け加えられた “My Son” のリフレインには、息子は息子、何があろうと全てを受け入れ愛し続ける、という思いが溢れ、しみじみと胸を打つ。 サムから自立し、自分たちの音楽活動を始めるクエンティンたちの姿が清々しい。サムもボートを友人の楽器店主夫婦に譲り、今の暮らしを抜け出ることにしたようだ。 ビリー・クラダップはもとより、楽器店主役のローレンス・フィッシュバーンがいい味を出している。 監督のウィリアム・H・メイシーがライブバー・オーナーとして映画を見守るようにそっと顔を出している。 【◎○△×】7 |