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壬生義士伝


2002年  日本  137分

監督
滝田 洋二郎

出演
中井 貴一、佐藤 浩市
三宅 裕司、夏川 結衣
村田 雄浩、塩見 三省
野村 祐人、堺 雅人

   Story
 浅田次郎の同名ベストセラー小説を『陰陽師』の滝田洋二郎監督が映画化。無名の新撰組隊士を主人公に、動乱の幕末を愛する家族のために生きた男の運命を描く。

 明治32年、東京市。冬のある夜、町医者のところに病気の孫を連れてやってきた老人・斎藤一は、 そこにかつて新選組で一緒に戦った隊士・吉村貫一郎の写真が飾られているのを見つける・・・。

 幕末の京都・壬生。尊皇攘夷の名の下にこ結成された新撰組は、倒幕の勢力が日増しに強くなる中で、苦しい立場にあった。

 ある日、南部藩出身の吉村貫一郎(中井 貴一)という男が入隊して来る。
 名誉を重んじ大儀のためには死を恐れない隊士たちの中にあって、生きることに固執し、何かにつけて金に執着する貫一郎に、 斎藤一(佐藤 浩市)は嫌悪を覚えるのだが・・・。


   Review
 何の気なしに見始めて、主人公が盛岡・南部藩の出身と分かった時は、ちょっと驚いた。 新撰組といえば京都・反幕派取締り武装組織というイメージが強すぎて、まさかはるばる東北出身の隊士がいるとは思いもしなかったのだ。
 (新選組と会津藩のかかわりを思えば、東北出身の隊士がいてもおかしくはないと後で思ったりはするけれど。)

 私自身が盛岡生まれで、父の転勤で早くに離れたけれど、“南部” という響きには身についた懐かしさがある。

 主人公・吉村寛一郎が東北出身と分かると、彼がみっともないほどお金にこだわるのも納得できる気がしてくる。
 東北人が吝(しわ)いという意味ではない。東北は度重なる冷害で始終、飢饉にさらされているところだ。 農民はもとより、武士とはいえ足軽の俸禄では飢えぎりぎりの暮らしだったろうと思う。


 寛一郎が脱藩したのも新選組に入ったのも、家族を養うため。 ほかの隊士のように酒や女に遊び暮らす気持ちになれないのは当然で、寛一郎が武士の面目を潰してまでも吝嗇に勤(いそ)しむのは、 ひとえに、貧窮に苦しむ故郷の家族に仕送りをしたいからなのだ。家族への情の深さはいかにも東北人らしいと思う。

 見るからに純朴な寛一郎が、見かけによらぬ剣の遣い手だと分かるのが、新撰組の宴会の夜、雨の中を斎藤一と帰るシーンだ。

 斎藤は宴席でお国自慢、家族自慢でボロボロ涙を流す寛一郎が気に食わない。 しばらく人を斬っていない、今夜この男を斬ろう、と心ひそかに決めて、帰路、いきなり斬りかかる。
 ところが思いがけない反撃に遭い、「冗談だ」とごまかすものの、「腕試しはこれきりにして頂きましょう」とピシリといわれてしまう。

 この斎藤一、「いつ死んでも構わんが、斬ってくれる奴がいない」というような無頼でニヒルな男だ。 家族のために「生」に執着する寛一郎を、武士の風上にも置けない、と嫌いながらも、どこか一目置いているのが面白い。

 寛一郎のなりふり構わぬ筋の通しかたに、心の奥でじつは共鳴しているのかもしれない。
 中井貴一と佐藤浩市ははじめは役が逆のほうが相応しい気がしたけれど、意外にどちらもぴったりはまっている。さすがです。

 大政奉還後、一転、賊軍となった新撰組。寛一郎は「義のため」と叫んで単身官軍に立ち向かい、重傷を負う。

 あれほど家族のために生き抜きたかった寛一郎が、なぜ、と思う。 足軽とはいえ武士の端くれ、脱藩という形で一度は裏切った武士の義を、最後は通したかったのだろうか。

 結局、「生」より「死」を選んだ寛一郎、明治維新を生き延びてしまった斎藤一、運命の皮肉を思わずにおれない。

 終盤、寛一郎の切腹に至るまでがあまりに長く泣かせにかかるのに辟易、 さらにストーリーが複数の視点で語られ、現在、過去が整理されずに入り混じる難があるものの、東北からの出稼ぎ武士という発想が新鮮だった。
  【◎△×】7

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