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ラストキング・オブ・スコットランド


2006年  アメリカ/イギリス  125分

監督
ケヴィン・マクドナルド

出演
フォレスト・ウィテカー
ジェームズ・マカヴォイ
ケリー・ワシントン
ジリアン・アンダーソン
サイモン・マクバーニー

   Story
 1970年代のアフリカ、ウガンダに君臨したイディ・アミン大統領の実像に迫る社会派ドラマ。独裁者の光と影を、彼の側近となったスコットランド人青年医師の視点で描く。
 主演のフォレスト・ウィテカーがアカデミー賞主演男優賞を射止めた。

 1971年、スコットランドの医学校を卒業したニコラス・ギャリガン(ジェームズ・マカヴォイ)は、父への反発と冒険心から故国を飛び出し、 ウガンダ・ムガンボ村の診療所にやって来る。

 折しも、軍事クーデターによってイディ・アミン新大統領(フォレスト・ウィッテカー)が誕生した直後のことだ。

 ニコラスはアミン大統領の演説を聞きに行った帰り道に、偶然にも大統領の捻挫の治療をし、気に入られてアミン一家の主治医になるが・・・。


   Review
 主人公のスコットランド人青年医師は架空の人物とか。となると、ストーリーのどこまでが事実でどこからがフィクションかが分からず、 見ていて少々居心地が悪いけれど、ウガンダの独裁者アミンに関しては、かなりのところまで事実に添って造形しているんじゃないかと思う。

 そう感じたのは、彼が偶然出会ったニコラスを自分の主治医に取り込んでしまうやり方を見た時だ。
 陽気で太っ腹。強引に自説を展開して相手に押しつけ、イヤも応もいう隙がない。 親しみ深い態度に、相手は「自分はアミンに気に入られている」と優越感がくすぐられる。

 その上、豪華な邸や車までプレゼントされる。こうして、いつの間にか彼の自家薬籠中になっているという訳だ。
 ニコラスのように、自分というものがしっかり掴めていない人間が取り込まれてしまうのは、当然かもしれない。

 こんな具合だから、イギリス人高等弁務官(サイモン・マクバーニー)からアミンの動静を報告してほしい (つまり、スパイになってくれ) といわれた時、 ニコラスが断るのは無理もない気がする、自分はアミンにとって特別な存在だと思っていた訳だから。

 保健大臣ワッサワの不審な動き(じつは単なる製薬会社との商談に過ぎなかったのだけれど)をアミンに告げたのも、ニコラスにしたら忠誠心の表われだろう、 それが即、ワッサワ粛清につながるとは思いもしない。

 ニコラスに決定的に欠けていたのは、政治というものがいかに複雑で怪奇なものか、という認識だ。
 ニコラスがやっとそれに気づくのは、自分がウガンダの白人社会で “アミンの白い猿” と呼ばれていることや、ワッサワが処刑されたことを知った時だ。

 終盤、ニコラスがアミンの毒殺を試みた時にアミンがいう言葉は、彼の恐ろしさを語って余りある。
 「まともなことを1つくらいはしたか。ゲームをしてるつもりだったか。アフリカにでも行って、親切な白人を気 取ってみるか、と思ったか。でもこれはゲームじゃない。現実だ。」

 アミンははじめから分かっていたのだ、ニコラスの中にある白人としての驕り、アフリカや新興国ウガンダに対する侮りを・・・。
 そうしたものをすべて承知の上でニコラスを利用し、いいように手のひらで転がしていたのだ。

 そこには、アフリカを食い物にしてきたヨーロッパ諸国に対する痛烈なしっぺ返しも窺える。
 豪放磊落を装いつつも、したたかで残酷な独裁者の顔を露わにするアミン、ウィッテカー迫真の演技だ。

 ニコラスは、「私はこの国の父親だ」というアミンに「あんたは子供だ。父親じゃない」といい返すけれど、 アミン以上に子供なのは自分だと真から悟ったんじゃないかと思う。父への反発や冒険心ですむ話ではなかったのだ。

 凄絶な拷問を現地医師の助力で生き延びたニコラス。命からがら帰国した後は、町医者としての父親の生き方が前とは違って見えるだろうと思う。 この映画はアミンという実在の独裁者の欺瞞性を暴くと同時に、彼を触媒にした一人の青年の成長の物語、ともいえそうだ。
  【◎△×】7

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