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ザ・マスター


2012年  アメリカ  138分

監督
ポール・トーマス・アンダーソン

出演
ホアキン・フェニックス
フィリップ・シーモア・ホフマン
エイミー・アダムス
アンビル・チルダーズ

   Story
 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のポール・トーマス・アンダーソン監督が、新興宗教の教祖と出会った復員兵の迷える心の変遷を辿った人間ドラマ。

 第2次世界大戦後のアメリカ。
 元海兵隊員のフレディ(ホアキン・フェニックス)はアルコール依存を抜け出せず、トラブルを繰り返していた。

 そんなある日、“ザ・コーズ” という宗教団体の教祖 “マスター” ことランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)に出会う。

 フレディはランカスターが自分を導いてくれると信じ、ランカスターもフレディを無条件に迎え入れる。
 彼らの絆は急速に深まっていくが、ランカスターの妻ペギー(エイミー・アダムス)は暴力的なフレディを教団から排除しようとするのだった・・・。


   Review
 新興宗教を題材とした映画というと思い浮かぶのは『エルマー・ガントリー』(60) だ。 この映画のように本作も、主人公フレディが “コーズ” という宗教団体を率いるランカスターと知り合ってからは、いつこの団体の偽善性が暴露されるのか、 その興味が先に立って映画を見ていた。

 ところがどうもそういう展開にならない。本作のテーマは違うらしい、と途中で気づいた。
 はっきり辿れるようなドラマがあるわけではないので、見る人によって受け取り方は異なりそうだけど、私はこの映画はフレディの心の彷徨を描いているという印象を受けた。

 第二次世界大戦の帰還兵であるフレディは、画面に登場したはじめからどこか壊れている。

 軍病院のロールシャッハ・テストでは、すべてセックスに関連した反応をして医師を呆れさせ (それを承知でわざとしているようでもある。 そこに彼の壊れ具合が現われている)、デパートのカメラマンの仕事に就くと、わざと客の嫌がることをして怒らせる。

 もともとそういう男なのか、従軍による PTSD (心的外傷後ストレス障害) なのか分からないけれど、やることなすことがどこか尋常でない。

 演じるホアキン・フェニックスの眉間にしわを寄せた暗い顔を見ていると、彼がそういう自分をもてあまし、ほんとはつらくてたまらないんだろうな、と思えてくる。 彼がランカスターと知り合い、教団にのめり込んだのは、さすらう心の居場所を見つけたと感じたからかもしれない。

 ランカスターを演じるフィリップ・シーモア・ホフマンは、一抹の胡散くささと、一方で安定した父性性も感じさせる絶妙の教団創始者を造形している。 妻は時折暴発するフレディの暴力性を懸念して彼を排除しようとするけれど、格別それを気にする風もない。

 フレディの作る妙な酒を媒介にして不思議な絆に結ばれる2人。
 フレデイはこの教団に安住の地を見つけたのかと思いきや、ある夏の日、みなでドライブに出かけた平原で、バイクをどこまでも全速力で走らせて、 そのまま姿をくらましてしまう。彼の心の定めなさはそうとうに深刻だ。

 数年後、彼を見つけたランカスターから「君の狂気を治す方法を見つけた」という電話が入り、フレディはロンドンの教団支部にスーツケースを提げてやってくる。

 揺らめくシルエットがはっきりした形になって受け付けの前に現われた時、 「あのフレディが、やっぱりやって来たんだ・・・」と一種いいようのない切なさを覚えた。

 でその方法はなんだろうと思ったら、ランカスターは「君はいつも自由だ。勝手気ままに生きろ。マスターに仕えることのない生き方を見つけたら、 その時は知らせてくれ」という。

 ランカスターも束縛のない生き方を求めて、それが得られない苦しみを生きてるのかな・・・、ふっとそんな思いが湧く。 ランカスターの見た夢の中で、行方不明になった2つの気球は、多分、彼とフレディなのだろう。

 でもフレディにしたら、突き放されたのと同じことだ。フレディのなんとも悲しげな眼・・・。
 どこにも救いはない。ちょっと不思議な映画だった。
  【◎△×】7

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