Story アルツハイマーの元連続殺人犯が新たに出現した若い連続殺人鬼を追う韓国の作家、キム・ヨンハの同名ベストセラー小説を映画化したクライム・サスペンス。 獣医として娘ウンヒ(キム・ソリョン)と平穏な日々を送るビョンス(ソル・ギョング)。 しかし彼は家族に暴力をふるう父親を殺害して以来、人間の屑は殺してもいいという思いにとらわれ、数々の殺人を犯してきた。 17年前に理由は覚えていないが女性を殺しての帰路、自動車事故を起こし、それ以来殺人は犯していないが、 その時のケガの後遺症で3か月前、アルツハイマー型認知症と診断される。 隣町で若い女性ばかりを狙った連続殺人が発生する。 ある日、接触事故を起こしたビョンスは、相手のミン・テジュ(キム・ナムギル)を殺人犯であると直感する。 彼の車のトランクから洩れていた血を採取したビョンスは、旧知の警官ビョンマン(オ・ダルス)に鑑定を依頼するが・・・。 Review いわゆる「信用できない語り手」のパターンの映画。 主人公ビョンスはアルツハイマー型の認知症だ。 そのビョンスの視点でストーリーが進むために、観客はどこまでが本当なのかが分からない不確かさの中で映画を見ることになる。これが映画の独特の面白みになっている。 ビョンスの記憶は日々失われており、さらに覚えている (つもりの) ことも、“記憶” というのは本来曖昧さがつきまとう。 そのため、事実と思って見ていた場面が後で主人公の妄想と分かったり、逆に、これは彼の見た夢か妄想だろうと思っていると、事実だったりする、 という具合で、観客は始終宙ぶらりんの状態に置かれる。 ではビョンスにはこの世界がどう映っているのだろう。 靄(もや)のかかった薄明の世界。時折切り裂かれたように光が射し、記憶も意識もはっきりするけれど、たちまちまた薄闇に覆われる・・・。 そんな心許ない世界ではないだろうか。 娘ウンヒが若い男と一緒に街路を歩いている、男を「どこかで見た顔だ」と思っても思い出せない、しかし危険だというのは分かる。 あるいは、山中の廃屋に閉じ込められたウンヒを大声で探し回っていると、突然戸が開いて男が入ってくる。 途端に記憶障害が起こり、自分がどこにいるのか分からなくなる。 つねに彼につきまとうのは足元が定かでない不安定さ・・・。 ただ惜しむらくは扮するソル・ギョングの演技がやや一本調子なこと。内心に渦巻く戸惑いや不安が切実に感じられないのが残念だ。 一方、もう1人の主要人物、ミン・テジュを演じるキム・ナムギルがとても上手くて、場面の切り替わる直前、スッと薄い笑いを浮かべるのが印象的だ。 連続殺人犯は彼だ、というのはビョンスの思い込みかもしれない、と思いかかった時にこの薄笑いを見ると、「あ、やっぱりコイツだ」と思う。 その一方で、「いやいや、ミスリードを誘う演出かも」と思ったりもする。 ビョンスは17年前を最後に殺人はしていない、と自分では思っているけれど、身体に殺人の習慣が染みつき、最近起きている連続殺人の犯人は自分かも知れない、 という自分に対する疑惑や怖れを抱いている。 また、ミン・テジュがビョンスの部屋に忍び込んでこっそりパソコン内の日記を読み、自分の犯罪を彼に被せようとしていた、 などなどがセリフで処理されているのが作品を薄くしている気がする。 映像シーンの積み重ねでこれらのサスペンスを盛り上げてほしかったと思う。 ビョンスが姉の自死という悲しい記憶を抑圧し、修道院にいるという幻想のもと姉を訪ねるシーンは切ない。 姉は洗濯物を干し、弟はベンチで弁当を食べながらお喋りする。・・・それは懐かしくもやさしい時間・・・。 けれどビョンスが再訪した修道院は廃墟と化し、庭のベンチには食べ残しの弁当がカラカラになって残っているだけだ。 ビョンスの心の空虚を思うとなんともいえぬ気持ちになる。 しかしビョンスには姉と、血が繋がらないとはいえ娘ウンヒという、心のつながった家族がいる。 一方、ミン・テジュは真の愛を知らないまま死んでいく。それが哀れに思える。 【◎〇△×】6 |