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情事


1960年  イタリア  129分

監督
ミケランジェロ・アントニオーニ

出演
ガブリエル・フェルゼッティ
モニカ・ヴィッティ
レア・マッセリ
レリオ・ルタツィ
ドミニク・ブランシャール

   Story
 ミケランジェロ・アントニオーニ監督が自らシナリオを書き、現代人の愛と孤独を描いた異色のラブストーリー。 『夜』(61)、『太陽はひとりぼっち』(62) とともに “愛の不毛” 3部作を構成する。

 大使の一人娘アンナ(レア・マッセリ)は、建築家の恋人サンドロ(ガブリエル・フェルゼッティ)、親友クラウディア(モニカ・ヴィッティ)とともに、 公爵夫人の招きで夏の終わりをシチリアで過ごすために、ヨットで出かける。

 気まぐれに小さな無人島に立ち寄ったところで、アンナは突然姿を消してしまう。
 捜索隊が島内をくまなく捜し、残されたサンドロとクラウディアも懸命に行方を求めるが、アンナの姿はどこにもみつけられなかった。

 その間に2人の仲は急速に近づき、いつしか深い関係になってしまう。
 サンドロはほかの女性とも情事にふけり、それを見たクラウディアはショックを受けるのだった。


   Review
 アントニオーニ監督の “愛の不毛” 3部作の1つ、『太陽はひとりぼっち』(62) が好きな映画だったのでかなり期待して見たけれど、も1つだった。
 カンヌ国際映画祭ではブーイングが起きたそう。 さすがにそこまでは思わないけど、3人の主要人物の内の1人、アンナが映画序盤で姿を消し、そのまま消息不明で終わってしまうのがネックかと思う。

 彼女が「なぜ」「どのようにして」、 絶海の孤島からいなくなったのか、(事細かに説明する必要はないけれど) 観客が推し図れる程度の布石はするべきじゃないかなぁ・・・。

 まず「どのようにして」だけれど、泳ぎがそう達者とも思えないアンナが、ヨットも使わずにあの島から脱け出す のは、普通に考えれば不可能だ。忽然と姿を消したといっても、いなくなりようがない。

 といって海に落ちて (あるいは飛び込んで)、事故死 (あるいは自殺) したというのでもないらしい。

 ストーリーは生存を信じたアンナの恋人サンドロと親友クラウディアが彼女を探し回る (うちに、だんだんおかしな関係になる) わけだけれど、 手品のようにアンナが宙に消えるはずもなく、そもそもの出発点が不自然だから、それでストーリー全体を引っ張ることに無理を感じてしまう。

 次に「なぜ」だけれど、アンナの父親が映画冒頭で、娘に「あの男 (サンドロ) はお前と結婚する気はない」というシーンがある。 男は男同士、さすがにサンドロのことをよく見ていると思う。

 アンナも、セックスだけで心のつながりのないサンドロとの関係に悩みながら、同時に、彼女自身が心にぽっかり穴が空いている感じだ。 「どこか遠くにいってしまいたい」というようなこといったりする。「なぜ」は本作のテーマそのものに思える。

 この映画は、主役のクラウディアより、早々に退場するアンナのほうが重要人物じゃないかという気がする。
 主役はクラウディアとアンナを入れ替え、アンナとサンドロの関係を、第三者 (観察者) としてのクラウディアの視線で描いたほうが、 テーマは鮮明になったんじゃないだろうか・・・。

 3人の人物造形があまり深くないのもマイナス点かな・・・。
 アンナははた迷惑な我が侭お嬢さんにしか見えないし、 サンドロにいたっては恋人が失踪して3日目にはもうその親友を口説くという軽さ、ただの女たらしにしか見えない。

 クラウディアが一番まともだけど、その分、普通すぎてかえって魅力は薄い。『太陽はひとりぼっち』であれほど都会の倦怠を漂わせたモニカ・ヴィッティが・・・、 とちょっと驚くほどだ。

 本作で私が一番引かれたのは、じつは小さな街の広場で、誰かが描きかけのままテーブルに置いている精緻な建物のデッサンを、 サンドロがわざとインク壺を倒して汚してしまうシーンだった。
 サンドロは建築家として、そのデッサンの大切さを承知しているはずなのに・・・。彼の心の頽廃が伝わってくる場面だと思った。
 【◎△×】6

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