Story 説話集『宇治拾遺物語』の中の「絵仏師良秀」を基に芥川龍之介が書いた同名短編小説の映画化。 平安朝時代。時の権力者・堀川の大殿(萬屋 錦之介)は、高名な絵師・良秀(仲代 達矢)に無量寿院の壁面に極楽図を描くよう命じる。 しかし良秀が描くのは悲惨な庶民の現実をそのまま映したものばかりで、そのたびに大殿を怒らせていた。 ある日、良秀は溺愛する娘・良香(内藤 洋子)が弟子・弘見(大出 俊)と恋仲であるのを知り、弘見を破門してしまう。 後を追った良香を偶然見かけた大殿は、彼女を小女房として召し抱える。 娘を返してくれと再三嘆願する良秀に、大殿は屏風に地獄絵を描くことを命じ、出来ばえによって良香を返すと約束するのだが・・・。 Review 萬屋錦之介というと、「中村」姓を名乗っていた頃からずっと私には侍とか剣豪の役のイメージが強かったので、公家役が少し高めの声も含めてぴったりなのが意外だった。 権力の頂点を極めたもの特有の傲慢さや、その裏に繊細・小心さが見え隠れするところなど、こんなに上手い役者だったのか、と今さらに驚いている。 若い頃、芥川龍之介が好きで読みふけった時期があるけれど、「地獄変」はなぜか未読。 どんな話なんだろう、タイトルから平安時代の飢餓とか疫病とかを背景にした怨霊ものかな、と思っていたので、こうした芸術論を題材にした話とは思わなかった。 権力者と絵師が「絵」という芸術を媒介にして、相手をねじ伏せ、己の意志を貫き通そうとする。いってみれば壮絶な意地の張り合いだ。 見ていて、「茶道」(という芸術) を媒介にした秀吉と利休の対立もこんな風だったんだろうか、と連想したりして・・・。 堀川の大殿 (「この世をば我が世とぞ思う望月の〜」の歌を披露するところを見ると、藤原道長をモデルにしているのかな) は、 絵 (芸術) は美しくなければならない、というのが持論だ。 一方、絵師・良秀は真実を映すのが絵 (芸術) だ、という。 なるほど、どちらも一理ある、なんて私は安易に両方に頷いてしまうけど、良秀のいう “真実” とは庶民の悲惨な現実をそのまま描くことを意味しているので、 大殿としてはそんな醜いものは見たくない、となる。 面白いのは、大殿があくまでも理屈で良秀を屈服させようとするところだ。 権力で一気に従わせようとあえてしないのは、彼の絵の才能に一目置いている証なのだろうか。 良秀の念願である無量寿院の壁画の製作も、極楽図という従来の自分の主張を引っ込めて、良秀のいう地獄絵を描 くことを認め、その前に邸の屏風に描いてみよ、になる。 しかしここからが彼のしたたかなところで、見たものが真実、見たものしか描かない、という良秀の主張を逆手に取って、 良秀の娘である小女房の乗った牛車を燃え上がらせ、それを描けと命じる。 それによって良秀に「負けた」といわせ、謝らせようという残酷な企みだ。 しかし良秀もさるもの、その企みに衝撃を受けるものの、眼前の無残な光景を見据えて焦熱地獄の火炎車を描き上げる。 絵師としての狂気がほとばしり出た感じだ。こうなるとまさに、真の地獄は大殿、良秀2人の心の中にこそある、ということになる。 良秀の縊れ死(くびれじに)の知らせを受けた大殿が、自分が御簾(みす)越しに対面していたのは良秀の亡霊と悟り、 火炎車で悶え苦しむ小女房が自分の顔に似せて描かれているのを知って狂乱するさまは、ゾゾッとするほど怖い。 良秀を演じる仲代達矢、堀川の大殿の萬屋錦之介、2人の演技合戦は緊迫感があった。 【◎○△×】6 |