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上意討ち 拝領妻始末


1967年  日本  128分

監督
小林 正樹

出演
三船 敏郎、加藤 剛
司 葉子、仲代 達矢
三島 雅夫、神山 繁
江原 達怡、市原 悦子

   Story
 滝口康彦の「拝領妻始末」をもとに、小林正樹監督が『切腹』(62) に続いて、封建制に反抗する武士の姿を通して、武士社会の矛盾や悲劇性を大衆的な筋運びで描いている。

 会津松平藩士の笹原伊三郎(三船 敏郎)は、主君・松平正容の側室であるお市の方(司 葉子)を、長男・与五郎(加藤 剛)の妻にせよと命じられる。

 入り婿として肩身狭く暮らしてきた伊三郎はせめて息子には良い妻をと抗うものの、 主君の命令 (=上意) が絶対の武士社会では拒むことが出来ず、お市を迎え入れる。

 幸い夫婦仲は円満で孫娘にも恵まれるが、正容の嫡子が急逝したことから、次の世継候補の生母としてお市を返上せよとの上意がくだる。 理不尽な藩主の命令に、伊三郎と与五郎はお家断絶を覚悟の上でこれを拒絶する。


   Review
 見終わった時はけっこう満足感があったのだけれど、いくつかの部分で違和感があって、ストーリーにすんなり入り込めないところがあった。 映画をシンプルに楽しみたいと思う私としては、それを羅列するのはあまり気が進まないけれど、いい映画と思うだけにあえて試みたいと思う。

 まず、いちが出産後の保養中に自分の代わりに側室の座に納まった女を見て逆上し、暴力を振るい、あまつさえ藩主までをもむしゃぶり叩いた、という件。

 いちがなぜ藩主の不興を買い、一藩士の息子に妻として拝領されたのかについて、家臣らの間に心ない噂が囁かれ、その1つがこれなのかなと思ったら、 実際いちが自分の口でそう語っている。

 さらに、側室として城に上がることを女の出世と思う当時にあって、 いちは少しもそう思わず、「50歳過ぎた男が19歳の自分に懸想したと思うだけで鳥肌が立った」といっている。自分のような女を出さないためにも、 何人も男子を生んでやろうと思った、とも。

 芯の強さに痛快感を覚える。それだけに、感情を簡単に爆発させるのはどうも彼女らしくない。

 嫉妬ではなく、自負も何もない女の無知な様子に怒りを覚えたというのなら、 なおのこと怒りをぐっと押し殺し、新しい場に自分の生きる道を見つけようと決心するほうが、いちには似つかわしい。
 与五郎に嫁して後の笹原家でのいちの献身的な暮らしぶりに、それがよく表われていると思うのだ。

 世継ぎ問題のこじれから城に戻るよう藩主の命令が下った時、これきっぱりと拒否し、「笹原家を潰してもか」と迫られても応じない意志の強さも、 これなら辻褄が合うし、いちらしい。

 端折(はしょ)って2つ目は、使用人たちに暇を出し、家内を綺麗に片付けた伊三郎・与五郎親子が、 切腹の上意を伝えにやってきた家臣団を迎え撃つ場面だ。
 家臣団は切り札として城に拉致していたいちを同行させ、伊三郎たちを翻意させようとするけれど、 いちは足軽の槍で胸を突いて自害してしまう。(これもほんとは隠し持った短刀のほうが自然かと思う。)

 それから斬り合いが始まる訳だけど、なんと与五郎はいちの亡骸に抱きすがったまま動かない。いくら恋女房でもこれはないでしょう、父親が一人で奮闘してるというのに。
 で、結局そのまま家臣団に斬り殺されちゃうのだから、情けない〜。

 といくつか並べたけれど、映画自体としては俳優陣の重厚さ、モノクロ映像の端正な美しさなど見るべきところが多い。

 三船敏郎の不器用な生き方を貫きながら、最後の最後に武士社会の理不尽さに真っ向から立ち向かう伊三郎はまさにはまり役。
 仲代達矢が扮する浅野帯刀もいい。親友・伊三郎を討ち果たす役を命じられると、武士は “筋立て” こそが本義、と国廻り支配としての役目柄ではないと断り、 その分、伊三郎が江戸に向かうために関所破りを試みると、“筋立て” に従って果たし合いをする。その潔さが心地よい。

 てらてら顔を光らせ偽善者ぶりが見事な家老の三島雅夫、目に不気味な狂気を感じさせる側用人の神山繁など、脇役陣ももの堅くて、風格を感じさせる本格時代劇ではあった。
 【◎△×】7

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