Story スティーヴン・スピルバーグ監督が、上海生まれのSF作家、J.G.バラードの自伝的小説『太陽の帝国』を映画化。 第2次大戦下の中国を舞台に、両親とはぐれた11歳のイギリス人の少年が日本軍の収容所で逞しく生きていく姿を描く。 1941年の上海、日本軍が攻撃を開始し、11歳のジム(クリスチャン・ベール)は両親と脱出するために町に出るが、ふとしたことから離ればなれになってしまう。 飢えや孤独と戦いながら逃げ惑う彼は、アメリカ人の闇屋のベイシー(ジョン・マルコヴィッチ)やフランク(ジョー・パントリアーノ)と知り合う。 ある夜、日本軍に襲われ、ベイシーたちと捕虜収容所へと送られたジムは、 ヴィクター夫人(ミランダ・リチャードソン)やローリング医師(ナイジェル・へイヴァース)と出会い、精神的・肉体的に大きく成長していく。 食料確保のためには日本人相手の屈辱にも耐え、一方で日本人の少年パイロット(片岡 孝太郎)と心を通わせるジムだったが・・・。 Review 大切に育てられたいわゆる「良いとこの坊ちゃん」が、日本軍の上海侵攻にともなう混乱の中で両親にはぐれ、一人で戦乱をどう生き抜いたか・・・、 という “少年が体験する戦争” という視点が新鮮だ。 クリスチャン・ベールは本作がデビュー作とか。まだ12,3歳ながら、マルコヴィッチと堂々と渡り合い、2時間半の大作を引っ張っていく演技力に驚いた。 主人公ジムは飛行機が大好きで、日本の零戦パイロットになるのが夢だ。 まだ戦争のなんたるかを知らないからこその憧れだけれど、それがこの映画にある種の清々しさを与えている。 彼が、有刺鉄線の向こうで水盃を頂いて出撃していく特攻を、捕虜収容所から最敬礼をして見送るシーンがある。 教会の聖歌隊の一員で、美しいボーイ・ソプラノのジムの唇から讃美歌が流れ出る。それは日本兵の歌う「海ゆかば」に重なり、やがてそれを覆って空に広がっていく。 日本兵も収容所の大人たちもみなじっと耳を澄ます。そこにあるのは死にゆく者への無心の畏敬だ。それが敵味方を越えて、ひとしく聞く人の胸を打つ。 心に残る美しいシーンだ。 ジムがアメリカ人の闇屋のベイシーの使い走りをしながら逞しく世渡り術を覚えていく姿は、捕虜収容所の暮らしとはいえ活力にあふれ、生き生きとしている。 それでも信じていたベイシーが、クリスマス料理のキジ取りの罠を仕かけると称して有刺鉄線の向こう側にジムを行かせたのは、地雷の有無を確かめるためだったり、 逃げる時は一緒と約束しながら、いよいよとなると自分だけが脱走したり、ジムは身をもって大人の狡さ、戦争の実体を知っていく。 収容所の上をB29が襲来するするシーンがある。ジムは収容所の屋上で狂気のように手を振る。彼にとってそれは敵機でも味方機でもなく、ひたすら美しい飛行機の群舞なのだ。 ローリンズ医師が「危ない!伏せろ!」と下から叫んでもジムには聞こえない。 屋上に駆け上った医師に抱き止められた時、初めて我に返ったように「パパの顔もママの顔も覚えていない」と叫ぶのが胸にこたえた。 11歳のジムが無意識に封印していた両親と別れた悲しみ、寂しさ、不安が一気に迸り出たのだろう。 「ママの髪の色と髪型は覚えてるのに・・・」、顔はのっぺらぼうなのだ。 映画のラストで戦災孤児たちの収容施設で両親に再会した時、母に抱かれたジムがその髪に触れて、やっと表情に感情がもどってくるのが印象的だった。 衝撃的だったのは、避難のために収容所の人々がみなで南島(ナンタオ)に移動する途中、ヴィクター夫人が亡くなり、 それを看取ったジムがはるか東の上空に美しい閃光を見るシーンだ。 ジムは夫人の魂が昇天していったのだと思う。しかし、それは長崎に落とされた原爆だった。美しい光が人類に地獄絵をもたらし、すべてを無にする恐ろしい光だったのだ。 ジムとゼロ戦少年パイロットとの友情 (そして彼の死)、など心に沁みるエピソードが多く、その中で人間と戦争の本質が描かれて、心に残る映画だった。 |