Story ジョイス・メイナードの同名小説をもとに、思いがけず逃亡犯の男性をかくまうことになった母と息子が、男と心 を通わせていく5日間を描く。 レイバーデーの連休が迫る9月初めのアメリカ東部の小さな町。 スーパーマーケットに買い物に出かけたシングルマザーのアデル(ケイト・ウィンスレット)と13歳の息子ヘンリー(ガトリン・グリフィス)は、 逃亡犯のフランク(ジョシュ・ブローリン)と出くわす。 絶対に危害は加えないという言葉を信じて、恐怖心から、アデルは彼を自宅にかくまうことにする。 緊張状態の中でアデル親子と数日を過ごすうち、フランクはヘンリーと打ち解け、アデルとは惹かれ合うようになっていく。 そしてアデルは人生を大きく変える重大な決意をするのだが・・・。 Review 中年男女が出会い、数日を共にし、そして別れる。ただそれだけ。ストーリーはとてもシンプル。 けれど、13歳の少年を2人の間に配し、彼の目を通して語らせたことで、ラブストーリーであると同時に、 思春期という微妙な年頃の少年の成長の物語になったと思う。 13歳のヘンリーは母アデルと2人暮らし。週一度、再婚した父(クラーク・グレッグ)の家族と食事を共にする。 父は自分のところに来てもいいといってくれるけれど、それをしないのは、情緒不安定で引きこもりがちな母が心配だからだ。 いろんなお手伝い券をプレゼントして (デート券、なんていうのもある) アデルを気遣うヘンリーは、繊細で優しい子だな、としみじみ思う。 でも冒頭のナレーションでその頃を振り返って、ヘンリーは「母が本当に望んでいることが分かっていなかった」と述懐する。 それをズバリと言い当てるのが、早熟なクラスメートのエレノア(ブリード・フレミング)だ。 同じように離婚家庭の彼女は、大人にとって大切なのはセックスで、恋人が出来たら追い出されるのは邪魔な子供だ、とえらく冷めた目で親の行状を見つめる。 動揺したヘンリーは、アデルが脱獄犯のフランクと国境越えしてカナダに行くと告げた時、思わず、自分は捨てられると思ってしまうほどだ。 もちろんそうではなく、3人が共に家族として、の意味なのだけれど。 ヘンリーが母を気遣わずにおれなかったのは、父に去られた母の孤独、性も含めた心の飢えを、なにとはっきりとは分からぬままに、彼なりに感じていたからだろうと思う。 フランクが現われて、3人が徐々に心を通わせていく中で、母とフランクの間に自分が入り込めない何かを感じるヘンリー。 少年の目を通して描かれているので、生々しいシーンはないけれど、そこには子供には分からない大人の 世界がある。 後年、大人になったヘンリー(トビー・マグワイア)が、あの頃とは違う思いで母とフランクを振り返るのが、映画に奥行きを与えている。 印象的だったのが、フランクが桃のパイを手作りするシーンだ。 隣人から桃を貰い、量が多すぎて捨てるしかない、というアデル。(ここにはアデルは家事が得手でないらしいことや、 母子2人の暮らしに漂うどこか索漠とした寂しさが窺がえる。) フランクは逞しい腕と手で粉を練って生地を作り、桃の実に砂糖をふりかけてザックザックと混ぜ、生地で包んでパイを焼き上げる。 さらにヘンリーに車を修理する工具の名前や扱い方を教え、一緒にキャッチボールをする。 ヘンリーは彼の家庭に決定的に欠けていた思春期の少年にとって必要な父性をフランクによって体験し、アデルは男性に包まれる安心感を得る。 フランクがアデル母子にもたらしたのは、父性の強さと男性のやさしさだったのだと思う。 合間合間に挿入される若き日のフランクのドラマが時間の二重構造を生んで、彼がなぜ凶悪な犯罪者の面影を持たないのかが納得される。 わずか5日間の暮らし、けれどそれが彼らにとって運命的な出会いであったことがよく分かる。 数十年後の後日談ともいえるラストがしみじみした余韻を生んで、心に残る映画となった。 【◎○△×】7 |