【 新作映画 2000年 】 |
Story 『ぼくのバラ色の人生』のアラン・ベルリネール監督が2つの人生に翻弄される女性の姿を追ったファンタジック・ストーリー。 南仏のプロヴァンス。2年前に最愛の夫を失ったマリー(デミ・ムーア)は、書評を書きながら娘2人と穏やかな日々を過ごしている。 しかし、毎夜ベッドに入り目覚めると、そこはニューヨークのペントハウスという不思議な体験を繰り返していた。 ニューヨークでの彼女は文学エージェントとして働くキャリアウーマン、マーティだ。 どちらが夢でどちらが現実なのか区別がつかないまま二重生活を受け入れていたが、マリーは作家ウィリアム(ステラン・スカルスゲールド)と、 マーティはクライアントの会計士アーロン(ウィリアム・フィッチナー)と恋に落ちたことから事態は変化し始める・・・。 Review 始まりは南仏プロヴァンスののどかな田園の暮らしだ。マリーは書評を書きながら2人の幼い娘と暮らしている。 近所の親切な世話焼きおばさんジェシー(シニード・キューザック)が時々姿を見せる。 マリーがベッドに入って眠る。目覚めると、ニューヨークの瀟洒なペントハウスの一室だ。 ここでのヒロイン、マーティは颯爽と町を歩く有能な出版エージェントだ。 マーティがベッドに入って眠り、目覚めると、そこはプロヴァンス。いつものようにマリーの暮らしが始まる。 毎晩見る夢があまりにリアルで現実との区別がつかなくなる、という設定に心理サスペンス的な映画を予想した ら、ちょっと違っていた。 プロヴァンスとニューヨークの生活が交互に画面に現れて、まるで目の前に交代交代に差し出される2枚の写真を眺めているみたい。 どちらも (恋らしきものは始まるものの) さしたることは起きず、それはそれで悪くはないけど、並行するだけの2つのストーリーにだんだん退屈してくる。 本来なら2つの世界をつなぐのが、どちらが本当の自分なのだろう、どちらが夢でどちらが現実なのだろう、というヒロインの葛藤でなければならない。 目覚めるたびに起こるヒロインの戸惑いや不安、混乱、本作の弱さはそれがリアルに感じられないことだろう。 プロヴァンスでもニューヨークでもセラピーを受けているところを見ると、ヒロインは一応悩んでいるのかな、と思うものの、ガラスを隔てたように実感が薄いのだ。 私ならどう組み立てただろう?と考えてみた。 始まりをプロヴァンスにするなら、ここの現実感を強くし、ニューヨークは華やかだけど絵空事っぽくする。 それから徐々に比重を逆転させて、プロヴァンスは輝く陽光の中で遠く淡い印象に、ニューヨークは輪郭のはっきりしたリアルな街に変化させていく。 それに合わせてプロヴァンスのマリーの影が揺らめき、ニューヨークのマーティの存在感が濃くなっていく。 ・・・こんな感じかな・・・。 ヒロインの前に現れる男性はニューヨークだけにしたほうがメリハリがつきそうだ。 アーロンがマーティの部屋の本棚にあった古い缶を見つけ、中にあった写真やノート、小さな品々からマーティの記憶がよみがえるのは、 本作で一番要めの部分だけにやや唐突なのが惜しい。 それでもプロヴァンスの家とニューヨークの部屋が融け合い、両方を移動しながらマーティが娘たち (=幼い頃の自分) やジェシー (=亡くなった母)、 ウィリアムに別れを告げる情景はしんみり胸に迫るものがある。 マリーの幼い娘が夜寝る時に必ず「ママ、私を忘れないでね」といったり、いくら親しいとはいえマリーがご近所さんのジェシーに簡単に秘密を打ち明けたり、 ニューヨークのカウンセラーが、恋人アーロンのことをプロヴァンスの恋人ウィリアムには言わないほうがいいとアドバイスしたり、 「?」と思ったことがみなこのラストの伏線であったことが腑に落ちる。 夢と現実が交錯するという設定や、主演のデミ・ムーアや脇を固める男優陣のウィリアム・フィッチナー、ステラン・スカルスゲールドが魅力があるだけに、 平板な印象の映画になってしまったのが残念だ。 【◎〇△×】6 |