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【 新作映画 2016年 】

レヴェナント 蘇えりし者


2015年  アメリカ  156分

監督
アレハンドロ・G・イニャリトゥ

出演
レオナルド・ディカプリオ
トム・ハーディ
ウィル・ポール
ドーナル・グリーソン
フォレスト・グッドラック

   Story
 狩猟中に熊に襲われ瀕死の重傷を負いながらも生き延びたハンター、ヒュー・グラスの実話に基づいた壮絶なサバイバル劇。 アカデミー監督賞、撮影賞に加え、レオナルド・ディカプリオが悲願の主演男優賞を初受賞した。

 1823年、アメリカ北西部の原野。 ヘンリー隊長(ドーナル・グリーソン)をリーダーとする一団が、ベテラン・ハンターのヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)を案内人として、毛皮猟の旅を続けている。

 そんな中で、グラスは灰色熊に襲われ、瀕死の重傷を負う。
 ヘンリー隊長はこれ以上のグラスの同行は無理と諦め、隊員のブリジャー(ウィル・ポールター)とフィッツジェラル(トム・ハーディ)に付き添いを命じる。

 2人は彼を残して去るが、グラスは死地から回復し、大自然の猛威に立ち向かいながらおよそ300キロに及ぶ道のりを踏破し、砦に生還する。

 グラスは彼を見捨てたばかりか最愛の息子ホーク(フォレスト・グッドラック)を殺したフィッツジェラルドにリベンジを果たすべく、さらに苦闘を続ける・・・。


   Review
 厳寒の山中で熊に襲われて瀕死の重傷を負い、その上仲間に置き去りにされたら、普通なら一巻の終わり。 これで生き延びたなんていったら、「うっそぉ〜〜」と思ってしまうところだけど、主人公ヒュー・グラスは実在の人物なのだそうだ。

 ただ、生還したということ以外、詳しいことは不明であるために、ストーリーの細部はフィクションで肉づけしているという。 そうだとしても、やっぱり現実は凄い・・・、とつくづく溜め息が出る。

 撮影はセットを使わず、じっさいに厳冬の山野で行われたのだそうだ。この映画から迫ってくる押し潰されそうなリアリティは、こうしたことから来るのだろう。

 冒頭、ひたひたと足元を流れる川の中に遠慮なくジャブジャブ入っていく毛皮ハンターの一行を見ただけで、 軟弱な都会生活に馴れた我が身は、「わっ!」と身がすくむ。

 空を見上げれば、けっこう薄青く晴れていたりもするのに、印象はいつも灰色、ブルッと寒さに襲われる。 自然光だけで撮影したという映像の1つ1つが、容赦ない自然の厳しさを突きつけてくる。

 映画のプロットは “ヒュー・グラスのサバイバル” ととてもシンプルだ。 それなのに引き込まれて見てしまうのは、背景が壮絶なだけに、彼がどのようにしてこの極限状況を生き延びたのか、その強烈な1点に興味が絞られるからだろう。

 本作で念願のアカデミー賞を獲得したディカプリオは、極寒の中で心身に致命的なダメージを負いながら、食糧を探し、復讐するまでは死ねないという執念で息子を殺した相手を追う。 全身から凄まじい気迫がほとばしる。
 一方で、すでに亡い妻子を思う時の柔らかな表情、・・・少ない台詞の中で、確実に演技の幅を広げたと思う。

 途中で出会う先住民ポーニー族の男のエピソードが胸に沁みた。
 凍てつく夜の雪原で、焚き火の明りに浮かび上がる生肉をかじる男の横顔。 鬼神に見える恐ろしい光景だけれど、彼は肉の一部をグラスに投げ与え、その後しばらくは馬に乗せて運んでもくれる。

 さらに、嵐の夜は木枝を組み合わせた急造テントでグラスを護ってくれる。命の恩人だ。
 だから、彼が白人の毛皮ハンターの一団に馬を奪われ、木に吊るされて死んでいるのを見た時のショックといったら・・・! 胸が苦しくなる。


 ラストの、「復讐は神に委ねる。自分ではない」というグラスの言葉で、佐木隆三の小説「復讐するは我にあり」を思い出した。 この小説のタイトルは聖書からの引用だそうだ。「我」とは「神」のことであり、「罪を罰することができるのは、神だけである」という意味だろうか。

 深傷を負って滝を流れ落ちていくフィッツジェラルドはとうてい助かるまい、と思う一方、同じような状況でもグラスは生き延びた、とも思う。 生死の分かれ目は、運・不運や生命力の強さではなく、神が決める、ということなのかと思ったりする。

 信仰を持つ者はこれほどの怒りや憎しみも最後は神に委ねる心境になるのかな・・・。 私にはむしろ、愛する者が再び戻ってくるわけではない、という復讐の虚しさに気づいたというほうが理解しやすい、と思ったりもする。
  【◎△×】7

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