【 新作映画 2016年 】 |
Story 元ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンの裁判を通して、世界中にホロコーストの実態を知らしめようと奮闘した、テレビマンたちの実話に基づく人間ドラマ。 若手プロデューサーと撮影監督がさまざまな困難を乗り越えて信念 を貫く様子を描写する。 1961年、イスラエル・エルサレムで歴史的な裁判が開かれようとしていた。被告はアドルフ・アイヒマン。 ナチスによるユダヤ人絶滅計画 (ホロコースト) を推進した責任者である。 15年にわたる逃亡生活の果て、ついにアルゼンチンで身柄が拘束されたのだ。 法廷で生存者たちから語られる証言は、ホロコーストの実態を明らかにする絶好の機会だ。 TVプロデューサーのミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)と撮影監督レオ・フルビッツ(アンソニー・ラパリア)は、 この「世紀の裁判」を世界へ届ける一大プロジェクトを計画する。 そんな彼らの前に、政治の壁、技術的な問題、さらにはナチの残党による脅迫など、思いも寄らぬ数々の困難が待ち受けていた・・・。 Review アイヒマンが南米で逮捕されたというニュースを新聞で知った時、過去の亡霊が現れたようでびっくりしたのを覚えている。 ただ、裁判については報道は多くなかったと記憶している。裁判がTV中継された世界37ケ国に日本が含まれていなかったことが大きいかもしれない。 じつは本作で、ソ連の有人宇宙飛行が成功したのが裁判が始まった2日目というのを知って、今さらに驚いている。「地球は青かった」という宇宙飛行士ガガーリンの言葉には、 地球が水の惑星であることをあらためて教えてくれる、美しく鮮烈な響きがあった。 その同じ時に、人類に対する最も非道な犯罪が裁かれていたのだ。 今では私たちはナチの強制収容所で何が行われたのかを知っている。それを広く世界に周知せしめるきっかけとなったのが、この裁判のTV中継だったのだ。 プロデューサーのミルトン・フルックマンやディレクターのレオ・フルヴィッツが、ガガーリンのあおりを受けて「視聴率が下がる」と心配するのが面白い。 イスラエル政府相手に中継の許可を取るための奮闘が丁寧に描かれるだけに、「失敗したら俺たちは世界の笑い者だ」というフルックマンの台詞には実感があり、共感を覚える。 同時に、歴史的な中継になるという使命感だけでなく、功名心がかいま見えるところがいかにもマス・メディア人らしい。 さらに裁判が始まって、フルックマンとフルヴィッツの間で中継の狙いに違いがあることが明らかになるのが、興味深かった。 フルヴィッツはアイヒマンを “モンスター” ではなく、私たちと同じ普通の人間と捉え、それが組織の歯車の中でどう人間性を失っていったかを抉り出そうとする。 だから、ホロコーストの記録映像を見せられた時に感情のほころびが顔に出るのを期待して、カメラをつねにアイヒマンに向ける。 しかしそのために、ホロコーストの生き残り証人が法廷で体験を語ったあと卒倒するのを、カメラに捉えそこなってしまう。 一方、フルックマンは裁判全般をカメラに収めることで、ホロコーストの “悪” そのものを写し取ろうとする。 だから、フルヴィッツのミスに激怒して彼の代わりにカメラにキュー出ししたりして、激しく対立する。 それでも最後まで互いへの尊敬を失わず、仕事を全うするところは、さすがに2人ともプロ、と感嘆する。 じっさいの実写映像を交えての作りはとてもリアルで、まるでドキュメンタリーを見ているようだ。 なかでも衝撃的なのはやはりアイヒマンという人物そのものの存在だろう。 防弾ガラスで守られた被告人席に腰を下した彼は、終始、他人事(ひとごと)のように裁判の成り行きを眺める。 ホロコーストの無惨な記録映像さえ、ちょっと顔を歪めはするものの「かなわんなぁ、こんなもの見せられて」という感じなのだ。 この無関心さ、冷酷さはいったい何なんだろう・・・。 ハンナ・アーレントは “凡庸の悪” と彼を評したけれど、それだけでない何か、彼の中の何かが壊れている、そんな思いが否めない。 といって、私たちと無縁の存在=恐るべき怪物 (モンスター)、というのでもない。 アイヒマンとは何者だ・・・、そんな思いがしつこく残った。 【◎○△×】7 |