【 新作映画 2016年 】 |
Story ウニー・ルコント監督が自身の人生からヒントを得て、実の母を探すヒロインと母親の30年ぶりの再会を描いたヒ ューマンドラマ。 理学療法士のエリザ(セリーヌ・サレット)は、パリで夫(ルイ=ド・ドゥ・ランクザン)、息子ノエ(エリエス・アギス)と暮らしている。 養父母に育てられた彼女は自分の出生について知りたいと関係機関を訪ね歩くが、守秘義務の壁に阻まれる。 自分で調べることにしたエリザは、ノエを連れて自分の出生地である北フランスの港町ダンケルクに移り住む。 ある日、ノエが通う学校の給食・清掃係員のアネット(アンヌ・ブノワ)が、エリザの診療所を訪れる。 Review バスに揺られて窓外を眺めるセリーヌ・サレットの横顔が若い頃のシャーロット・ランプリングにそっくり。 ちょっと奥二重の暗い眼差しや引き結んだ薄めの唇・・・、それはそのまま、エリザが抱える内面の危機を表しているようでもある。 養子として育ったエリザが、自分の出生を明らかにしたいと役所や関係機関を訪ね歩く時にぶつかる、情報秘匿の厚い壁に驚いた。 フランスでは母親が秘匿出産を望むと、子供が生みの親について知りたいと思っても、情報を得ることは出来ないらしい。 もちろん、それだけの事情があってのことと思いつつも、子供は “親は自分に会うことを望んでいない” と思い知ら されるわけで、何とも苛酷なことに思える。 エリザには10歳になる息子ノエがいる。一見、アラブ風の容貌だ。 同級生の母親に「ご主人はアルジェリアの出身なの?」と聞かれたり、 学校の給食・清掃係員のアネットに「息子さんは眼がクルリとして可愛い」といわれるシーンがあって、初めのうち私は、ノエは養子なのかと思っていた。 彼のちょっと拗ねたような反抗的な態度も、そうした境遇に対する彼なりの不安感の表われなのかな、と。 こうしたさり気ないやり取りが、エリザの出生の秘密につながってゆく。流れの自然さ・巧みさに唸らされる。 エリザはダンケルクで理学療法の診療所を開いていて、そこにアネットが患者としてやって来る。 エリザが理学療法士であるという設定に深い意味を感じる。なぜなら、患者は衣類という心の鎧を取って肌を露出し、 療法士は油をすりこんだ手で、丁寧に、大胆にそれをもみほぐしていくからだ。 もはや美しいとはいえない初老に近い女性の肉体が、生々しく眼前に映し出される。そして彼女のしこった肉体が、施療を受けてやわらかくなだらかに開放されていく。 この頃にはもう、私たち観客はアネットがエリザの母であることを察しているので、母と娘がこうした触れ合いで無意識の何かを呼び覚まされる感触にドキドキする。 エリザはアネットが実母と知った時、一度は「違う」と否定する。 う〜む、人間ってそうしたものかもしれない、探し求める親とご対面、めでたしめでたし、というほど単純なものではない、とつくづく思う。 なぜ捨てたのか、なぜ匿名を希望したのか、・・・今まで封印していたわだかまりが噴出してくるのはむしろ当然だろう。 エリザとアネットの和解はやっと緒に着いたばかり、これからが始まりなのだと思う。 そんな中で、アネットの母や兄がエリザの前で彼女の実父を口を極めて罵ると、アネットが「私の人生は私が語る」ときっぱりした口調でさえぎるのに救われる思いがする。 アラブから来た妻子ある男、アネットを騙した無責任な男、・・・母や兄が憤るのは無理もない。けれどもアネットはたしかに彼を愛し、彼に愛されたのだ。 それがアネットのこの言葉から伝わってくる。 エリザは自らの存在の必然性をはっきり掴むことが出来たのではないかと思う。 公園で犬と遊ぶノエを見つめながら、アネットが「彼と同じ瞳よ」とエリザに呟くのが、温かい余韻となって胸を浸した。 【◎○△×】7 |