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【 新作映画 2016年 】

奇蹟がくれた数式


2015年  イギリス  108分

監督
マシュー・ブラウン

出演
デヴ・パテル
ジェレミー・アイアンズ
デヴィカ・ビセ
トビー・ジョーンズ
ジェレミー・ノーサム

   Story
 インド人の天才数学者ラマヌジャンと、イギリス人の大学教授G・H・ハーディが数学を通じて強い絆で結ばれ る、実話をもとにした人間ドラマ。
 第1次世界大戦下のイギリスを舞台に、人種も国籍も違う2人の数学者が、文化の違いに苦しみながらも、困難を乗り越え絆を深めていくさまが綴られる。

 1914年のイギリス。ケンブリッジ大学の数学者 G・H・ハーディ(ジェレミー・アイアンズ)は、インドから届いた手紙に記されていた定理に驚く。

 差出人ラマヌジャン(デヴ・パテル)は、インドで事務員として働きながら、独学で数学の研究をしていた。

 ハーディの招聘に応じて、ラマヌジャンは新婚の妻(デヴィカ・ビセ)をインドに残し、単身渡英する。 しかし、学歴もなく社会的階級も低い彼は、ほかの教授たちの偏見や差別にさらされるのだった・・・。


   Review
 数字って、何かを数える必要が生じたために人間が考え出したもの、と単純に思う私としては、 自然界にあらかじめ「数式」(という法則) が存在していることが不思議でならない。
 それを発見し、研究する数学者の頭の中ってどうなっているんだろう、とすら思ってしまう。

 ラマヌジャンは、数式が「頭の中にひらめく」という。
 論理的思考がもっとも要求される数学で、“ひらめく” というのが面白い。

 この言葉でまず思い浮かぶのは芸術だろうか。“ひらめき” は絵や音や形体に具象化され、それによって他者は理解し、そして感動する。
 一方数学は、ひらめいた「数式」がいくら正しくても、そこへの筋道を「証明」という形で説明しなければ、他者は納得しない。 「まぐれ」ではないことを客観的に示さなければいけないわけだ。


 しかし、ヒンドゥー教の熱心な信者であるラマヌジャンにとって、“ひらめき” は神が与えてくれる啓示、正しいに決まっている。 なぜ証明しなければならないのか、それが分からない。
 映画では、ハーディ教授が証明の必要性をいかにしてラマヌジャンに理解させるか、そのプロセスが大きな比重で描かれる。

 科学って本来そういうものと思う私にはハーディ教授のいうことに違和感はないけれど、よく考えると、これはヨーロッパ文化(価値観)の押しつけという気もする。
 研究が認められるためには「証明の必要性」を受けいれる他ないラマヌジャンにとって、これはすごいストレスだったろうと思う。

 この映画は数学というテーマを通して、異質の文化のぶつかり合い、さらには、文化も環境も個性も違う2人の数学者が、このぶつかり合いを通して理解し合い、 絆を深めていく姿が描かれる。

 ハーディ教授や彼の親友のリトルウッド教授(トビー・ジョーンズ)は率直にラマヌジャンの才能を認め、驚嘆するけれど、 ほかのケンブリッジ大学人たちはイギリスの植民地であるインド人に高等数学など分かるはずがない、という蔑視や偏見が強かった。

 そのストレスに加えて、宗教上の理由で菜食主義者のラマヌジャンは、第1次世界大戦の始まりで野菜の配給が制限され、栄養失調に陥る。
 新婚間もなかった妻との手紙のやり取りを母に妨害されたことも彼の孤独と苦悩を深めた。

 そうしたラマヌジャンの心身の衰えにハーディ教授は (多少は、あれ? と思いながらも) 気づかない。
 結婚せず、人づき合いも苦手、存在が「証明」されないという理由で、神も信じない。 研究一筋で人生を送ってきた教授の変人ぶりをジェレミー・アイアンズが飄々と演じている。

 そんな彼がラマヌジャンの功績を大学アカデミーに認めさせるために奔走し、彼が命にかかわる重病だと知ると、愕然として、治療のために心を砕く。 真摯な人柄だったことが分かる。

 回復したラマヌジャンが帰国の途に着くのにホッとしたのも束の間、帰路の船上で病気が再発する。数奇な人生の中で、彼が妻と再会できたのがせめてもの慰めに思えた。
  【◎△×】7

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