【 新作映画 2017年 】 |
Story ドイツ人作家ハンス・ファラダが、ベルリンで実際に起きた事件のゲシュタポの文書記録をもとに執筆した小説『ベルリンに一人死す』を、 俳優のヴァンサン・ペレーズが映画化。 平凡な労働者階級の夫婦が息子の戦死をきっかけに、ペンと葉書でアドルフ・ヒトラーにノーを突き付け、命がけ の抵抗をするサマを描く。 1940年6月、フランスがドイツに屈して間もない頃。 戦勝に湧くベルリンで慎ましい暮らしを送るオットー(ブレンダン・グリーソン)とアンナ(エマ・トンプソン)夫妻は、一人息子ハンスの戦死の知らせを受け取る。 悲しみに暮れる2人。 やがてオットーはヒトラーを批判する言葉を葉書に記し、アンナとともにそれを密かに街中に置いて回るようになる。 そして、ゲシュタポのエッシャリヒ警部(ダニエル・ブリュール)が捜査に乗り出す・・・。 Review 一人息子の戦死を機に、ヒトラーを告発する葉書を2年にわたって市街のあちこちに置き続けた夫婦の物語だ。 ヒトラーあるいはナチスもの (大雑把なククリだけど) で実話に基づく話が最近はずいぶん映画化されているけれど、 どれもフィクションなら「嘘ぉ〜、設定に無理がありすぎる」と思ってしまうような話ばかり。それだけに実話の持つ重みに圧倒される。 本作の主人公、オットーとアンナの夫婦はナチス党員ではないけれど、 オットーは軍需工場の職工長として働き、アンナは銃後を守る女性同盟のメンバーとして寄付集めの活動をする。ごく普通のベルリン市民だ。 それでもナチスの政策に何ともしれぬ不安や違和感、疑問を感じていたのではないか、表立って口にはしないものの、・・・と私は映画を見ながら思った。 一般市民のナチス・ドイツへの抵抗は『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』(05) で、 ヒトラー暗殺計画は『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(15) など (いずれも実話に基づいている) で描かれている。 熱狂的にナチス・ドイツを支持する人々がいる一方で、心中ひそかに批判する人々もいたのだ。 オットーとアンナも息子の死によって、そうした思いがはっきり形となって心の中に浮上したのだと思う。 オットーは葉書を書き続け、1人であるいはアンナとともに、市内の公共の建物や街角にそっと置いて回る。 見つかれば死罪は免れない。しかし2人は見つかるまで続けただろうと思う。つまりは暗黙のうちに死を覚悟していたことになる。 ブレンダン・グリーソンの寡黙で揺るぎのない体躯がこんな大きな決断をありふれた日常の事のように思わせてしまう。 そして、はじめは不安で取り乱しても、一旦腹が決まれば夫を支え続けるエマ・トンプソンの自然体もいい。 台詞の少ない演技でこれほどリアルにオットーとハンナを彫り込む超ベテラン俳優の存在感が凄い。 一方、葉書を拾った市民はどうしたか・・・。 内容を一瞥し、驚き、不安で周囲を見回し、慌てて元に戻す、あるいは官憲に届ける・・・、そんな様子が目に浮かぶ。 こうしてオットーの書いた285枚のうち、じつに267枚の葉書が官憲に届けられるのだ。(ということは18枚はひそかに市民が手元に所持したことになる。) ゲシュタポは葉書の拾われた場所、ナチスを機械に例える内容、一人息子を失っていること、 などから容疑者の職業、居住地域、利用する交通機関、などを絞り込んでいく。 ダニエル・ブリュールが、自分もナチスに疑問を抱きながらも、夫婦を追い詰めていくエッシャリヒ警部を好演している。 映画の終わり、逮捕され別々に収監されたオットーとアンナが、法廷で顔を合わせる場面が感動的だ。 夫の顔をじっと見つめるアンナ、大きな手で包み込むように妻の手を握るオットー・・・。 2人には言葉はいらないことがよく分かる。死の不安や恐怖の向こうに息子ハンスとの再会を見つめている、それが2人の心を安らげているのだろう。 エッシャリヒ警部の悲痛な自死、路上に舞い散る267枚の葉書、さり気なく拾う手、・・・印象的なラストだ。 【◎○△×】7 |