【 新作映画 2018年 】 |
Story 権力をほしいままにした独裁者スターリンの急死を受けて、側近たちが繰り広げる最高権力の座を巡る権謀術数を 描いたブラック・コメディ。 1953年のモスクワ。次々と政敵を粛清し、長年にわたって国政を思うがままに牛耳ってきたスターリンが、一人自室にいる時、脳溢血の発作を起こす。 翌朝、彼は意識不明の状態で発見されるが、後継者を指名することなくそのまま息を引き取る。 フルシチョフの指揮のもと、厳粛な国葬の準備が進められる。 同時に、スターリンの腹心マレンコフ(ジェフリー・タンバー)、秘密警察の警備隊長ベリア(サイモン・ラッセル・ビール)、 中央委員会の第一書記フルシチョフ(スティーヴ・ブシェミ)、さらには軍最高司令官ジューコフ(ジェイソン・アイザックス)まで加わって、 側近たちの熾烈な権力バトルが始まる・・・。 Review 子供の頃、時どき新聞やニュース映画でフルシチョフを見ることがあった。太った人の好さそうなおじさん、陽気な農夫という言葉がピッタリの印象だった。 たまに奥さんが脇に立っていたりする。スカーフを被り、太った腰にエプロンをつけて、これまた農婦そのもの。 とても冷戦下の世界を二分する大国のトップに立つ人やその妻には見えなかった。 本作ではスティーヴ・ブシェミがフルシチョフを演じている。 外見は似ていないけど、陽気に人を笑わせながら、陰でちょこまか悪巧みをして政敵のベリヤを陥れようと画策するあたりは、 案外、フルシチョフってこうだったのかも、と思わせる。 彼が権力を手にして間もなく、ソ連共産党大会でスターリン批判をした時、新聞の取り扱いが衝撃的だったのを記憶している。 それがどれほどのことだったのか、(遅まきながら) 今ならよく分かる。 恐怖支配のもと、人が命令に従うようにだけ骨の髄から訓練されたらどうなるか、つまり自分で思考し行動するこ とを停止したら・・・。 これはもう喜劇以外のなにものでもないんじゃないだろうか。冒頭のコンサート会場シーンでまず笑ってしまう。 スターリンから電話がかかり、17分後にまたかける、といわれる。電話を受けた音楽監督は恐慌に陥る。 17分っていつから数えてだ? 1分前か? 30秒前か? 1分1秒間違えても (彼にしたら文字どおり) 首が飛ぶ。 その後がさらに喜劇だ。スターリンが官邸の自室で発作を起こして倒れる。ドサッという音がする。 扉の前で直立不動の2人の警護兵、「?」と顔を見合わせる。「どうした」「(中を) 見るか?」「いや、命令されてない」。 で2人はそのまま立ち続け、意識不明のスターリンが発見されるのは翌朝、メイドが朝食を運んできた時なのだ。 やっと側近たちが集まるけれど、ここでもすぐ医者は呼ばれない。 有能な医者はみな収容所に送られたり粛清されたりしたので、だれを呼べばいいのか分からない。 ーー から始まって、その前にルール通りにまず会議を開いてどうすべきか決めなければならない、とか倒れているスターリンを前にして延々と意見が飛び交うのだ。 ・・・これでは助かるものも助からない・・・。 というか、助からないように時間稼ぎしているようにも見えるし、 スターリンが蘇生した場合、ルール通りに行動したと言い訳できるように、予防線を張っているようにも見える。 その間には、スターリンの補佐役のマレンコフが抜け目なく、自分が書記長代理を勤める、と宣言したりする。 こんな調子で、権力の中枢がぽっかり空白になり、それでも刷り込まれた思考・行動システムから抜けきれず、てんやわんやする側近たちが描かれる。 もちろんはじめの騒動が収まれば、すぐにもお定まりの権力闘争に突入だ。うっかり次の指導部から外れたら粛清者リストに載りかねない。命がけの闘いなのだ。 秘密警察警備隊トップのベリヤは無能なマレンコフを陰で操り、ベリヤと敵対するフルシチョフも多数派工作に動く。 嫌々ながらもスターリンの葬儀を任されたフルシチョフが、それを逆手に取ってベリヤを失脚させるくだりは、 1500人もの一般市民の犠牲者を出しながらも、ブラック・ユーモアで笑いのめす演出のせいか陰惨な感じはない。 こうして権力者の座に収まったフルシチョフだけれど、10年後にはブレジネフにその地位を奪われる。お互い様というところだろうか。 ロシアでは本作は上映禁止になったとか。 スターリン再評価の動きもあると聞くし、体制が変わってもソ連時代の体質はいまだ健在ということなのかな・・・。 【◎○△×】7 |