【 新作映画 2018年 】 |
Story 人気エッセイストの森下典子が、茶道教室に通う日々の中でお茶の魅力に気づき、茶道を通じて体験したいくつも の感動を綴った「日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ」の映画化。 20歳の大学生・典子(黒木 華)は、ある時母(郡山 冬果)に勧められて、同い年の従姉妹・美智子(多部 未華子)と一緒にお茶を習うことになる。 2人は近所でただものでないという噂の武田のおばさん(樹木 希林)の茶道教室を訪ねる。この日から武田のおばさんは武田先生になったのだ。 理由も意味も分からないさまざまな所作や茶道具に戸惑いながら、稽古に通い続ける2人だが、美智子は就職を機にお茶を離れる。 やがて美智子は結婚し、自分の道を歩んでいく。一方、典子は出版社でアルバイトをしながらお茶を続け、さまざまな体験を重ねながら、いつか25年の時が流れる・・・。 Review 20代の頃、半年ほどお茶を習いに通ったことがあるけれど、袱紗(ふくさ)さばきや棗(なつめ)の拭い方、 畳の歩み方などにこんなにややこしい作法があるなんて知らなかった。 習ったのに忘れた、というより、はじめからそういうところは端折った教え方の先生だったのかな・・・、思い出すのはお茶の立て方と頂き方くらいのものだから。 両肘を膝に落として前かがみになり、両手でお茶碗を丁寧に鑑賞する作法は妙によく覚えている。 そんな訳で、典子と美智子の稽古初日のシーンはとても面白かった。 袱紗(ふくさ)さばきの手順は細かすぎてとても一遍では覚えられそうにない。 三角に折った両端をピンと音と立てて引っぱるちり打ち。棗(なつめ)は「こ」の字で拭って、 茶筅(ちゃせん)の抜き方は「の」の字を描く。 釜に水を移す時は、柄杓の位置は高すぎても低すぎてもいけない。畳は左足から踏み出して、一畳を六歩で歩く。 どういう意味があるのか分からないけど、その分からなさが何だか面白い。1つ1つ所作を丁寧になぞっているうちに、だんだん神妙な気持ちになりそうだ。 でも、お茶を習った20代の頃、いきなりこれをさせられたらどう感じたのかな、なんていうこともふと思う。 「どういう意味があるんですか」と聞く典子と美智子の率直さがいかにも若い人らしい。私もきっとそうだったろうな、と微笑が湧く一方で、 内心思っても、黙ってそのままやるかな、とも思う。 その時の武田先生の答えがいい、「意味なんて分からなくていいの。先に “形” という入れ物を作って、後からそこに “心” が入るのよ」。 うーん、これは名言だと思う。 今という時代は “知” が先に立って、頭で理解し、知識として吸収しようとする傾向がある。 もちろんそれは大事だけれど、同時に “五感” を研ぎ澄ますことを置き去りにしてはいけない、とも思うのだ。 そうして感じ取ったものは、いつか、理屈でなく、感覚として、腑に落ちてくる。 分からないことは分からないままに、たゆたうままにすればいい。・・・そう思うと心がすっと軽くなる。 映画は典子のその後の約20年の月日を追いながら、お茶との関わりの中で人生の成熟を深めていく様子を描く。 典子は、春と秋では降る雨の音が違って聞こえることや、 掛け軸の「瀧」の文字の背後にゴーッと流れ落ちる水の姿が見える (=文字として読むのでなく、絵として眺める) ことに気づいていく。 釜につぐお湯の音はふっくらと柔らかく、水の音はさっぱりと清らかなのは、映画を見ている私にも感じ取れて嬉しくなる。 お茶室から見える庭の四季の移ろい、 折々に画面に記される「雨水(うすい)」「小暑」「白露(はくろ)」など二十四節気を表わす言葉、 四季を象(かたど)った美しい和菓子の数々・・・。 自然と調和しながら、ゆっくり生きる日本人のあり様がさり気なく表されて、心に染みてくる。 同時にそれは、就職に失敗し、自立の道を見出し、失恋をし、また新しい恋を得、茶道では後輩に追い越され、立ち直り、 そんな紆余曲折を経ながら、成長し、味わいを深めていく典子の人生に重なってくる。 ドラマティックな出来事は何一つ起きないけれど、平穏で変わり映えのない日々だからこそ、“しあわせ” が滲み出ることをあらためて感じさせてくれる映画だった。 【◎○△×】7 |