【 新作映画 2019年 】 |
Story 映像化が難しいといわれる村上春樹の小説の中から短編「納屋を焼く」を取り上げ、舞台を現代の韓国に置き換え て大胆に翻案したミステリー・ドラマ。 大学卒業後、就職に失敗したジョンス(ユ・アイン)は、アルバイトで生計を立てながら小説家を目指している。 ある時、町で偶然に幼なじみのヘミ(チョン・ジョンソ)と再会したジョンスは、アフリカに旅行するという彼女に留守中の猫の世話を頼まれる。 半月後ようやくヘミは帰国し、空港に出迎えたジョンスは旅先で知り合ったというベン(スティーヴン・ユァン)を紹介される。 こうしてヘミを間に挟んでジョンスとベンの奇妙な三角関係ともいえる交流が始まるが・・・。 Review 幼なじみのヘミと再会してから、それまでそれなりに安定していた主人公ジョンスの暮らしが揺らぎ崩れていくさまは、 見終わった後、自分の足元さえも不確かな危うい気分になる。 映画全体に通底するこの感覚を、端的に表しているのがヘミのパントマイムだ。 彼女はみかんを剥いて食べるフリをしながら、「(ないものを) あると思うのでなくて、ないことを忘れる」のがコツという。 しかし本当にそうだろうか・・・。私には “ない” ものを “ある” と想像するほうがラク。“ない” ことを忘れようとすると、 かえって “ない” と意識して、“ある” ことが遠のいてしまいそう。 こうした感覚はヘミの飼い猫をめぐっても繰り返される。 ジョンスはヘミのアフリカ旅行中、猫の世話を頼まれるけれど、彼女の部屋に気配はまったくない。パントマイムと同じで、ほんとは猫なんていないんじゃない? でも毎日ジョンスが部屋を訪れると、餌はちゃんと減っており、猫用トイレには糞もしてある。“いる” のか “いない” のか、現実感覚がだんだんあやふやになってくる。 ヘミにまつわる危うさはまだある。子供の頃、近所の井戸に落ちてジョンスに助けられた、と語るけれど、ジョンスにはその記憶がない。 井戸はほんとにあったのだろうか、それともないものをヘミが作り話しているのだろうか。 それだけではない。ベンと一緒にジョンスの家を訪れたのを最後に、ヘミ自身が忽然と姿を消してしまうのだ。まるでもともと彼女が存在していなかったかのように・・・。 映画の不穏な空気を増幅するのが、ヘミが旅行で知り合ったベンの存在だ。 「遊びと仕事の区別がない」とうそぶく正体不明の男。高級車を乗り回し、高級マンションでの贅沢な暮らしぶり。 いつも冷静。クツクツ含み笑いを洩らし、内面を少しも窺わせない。 彼を見ていて浮かんできたのは “サイコパス” という言葉だった。そう、なんだか怖い。 ヘミとともに突然ジョンスの家にやってきた日、ベンは暮れなずむ空を眺めながら「ビニールハウスを焼くのが趣味」「役に立たない汚いものを (焼くのが)」と打ち明ける。 近いうちにジョンスの家の近くの (ビニールハウス) を焼く、今日はその下見に来たのだ、と。 それ以来ジョンスは気になって、燃えたビニールハウスを探し回る。そしてある時ボロボロに破れたビニールハウスに火をつけてしまう、ハッと我に返って慌てて消すけれど。 人の内面にひそやかに侵入し、意識の深層に暗い種を撒くかのようなベンの謎めいた打ち明け話は、ジョンスを犯罪に誘い込む罠のようにさえ思えてくる。 ジョンスの家の近所に焼かれたビニールハウスは見当たらない。けれども、ベンはとっくに燃やした、という。身近すぎて、ジョンスが気が付かないだけだと。 ベンがマンションの洗面所の引き出しに隠していた美しいブレスレットの数々、そこにある時加わったヘミの腕時計、そして突然現われたヘミの飼い猫・・・。 「ビニールハウスを焼く」ってほんとは何のこと? 恐ろしい疑念が湧き上がる。 ベンを演じるスティーヴン・ユァンの端正なだけにかえって色濃く漂う得体のしれなさ、捉えどころのない儚さを感じさせるヘミ役のチョン・ジョンソ、 中でもジョンスを演じるユ・アインの戸惑いや尻込み、驚きや嫉妬など、さりげない感情を表わす演技の自然さに引かれる。 そしてラストの思いがけない結末。ベンへの怒りを爆発させた後、ジョンスはベンと一緒に自分の痕跡さえも消してしまうのだ。これから彼は一体どこへ行くのだろう。 ものごとの境界が曖昧な現代に生きる若者の不安、焦燥、当てどなさが印象的に描かれているような気がした。 【◎○△×】7 |