【 新作映画 2019年 】 |
ハーツ・ビート・ラウド |
たびだちのうた |
Story 元ミュージシャンのフランク・フィッシャー(ニック・オファーマン)はニューヨークのブルックリンで小さなレコ ード店を営んでいる。 妻を事故で失くして以来、男手1つで娘のサム(カーシー・クレモンズ)を育てながら、17年間続けてきた店だ。 サムは夏が終わればロサンゼルスの医大に進学が決まっている。 フランクはそれを機に赤字続きの店を畳むことを、店の貸主で友人のレスリー(トニ・コレット)に告げる。 ある夜、フランクは勉強中のサムを強引にセッションに誘い、録音した曲をネットにアップすると、思いがけぬ反響がある。 すっかり舞い上がったフランクはサムと親子バンドを組もうと夢をふくらませるが、進学後の生活や恋人ローズ(サッシャ・レイン)との関係など、問題山積のサムは・・・。 Review 気がついたら最近は行くことも少なくなったレコード店。冒頭に映るレコードショップの様子だけで、キュッと懐かしい気持ちになる。 ジョン・キューザックが店長だった『ハイ・フィデリティ』(00) では、店内に流れる店主や店員のこだわりの音楽に身を委ねながら、 お気に入りのレーベルを見つけ出す空間が心地よかった。 しかしそれからほぼ20年経った本作に描かれる音楽シーンは、ずいぶんと様変わりした。 まず、元ミュージシャンのフランクが娘のサムと作曲する様子だけど、タブレット端末のようなデジタル機器にメロディーラインはもとより楽器演奏まですべてが入力されている。 リズムもテンポも自由自在、それによって曲想も微妙に違ってくる。歌詞は何かに書かないといけないから昔ながらといえばいえるけど、五線譜はもういらない。 実際の演奏も、楽器はフランクのギターが1本あればいい。 バンドといえばギター、ドラム、キーボード、とボーカルをのぞいても3〜4人はいると思っている私には、 「私たちはバンドじゃない」というサムの言葉 (彼女は違う意味でいったんだけど) は妙に説得力がある。 フランクは娘とセッションをしたくてたまらない。サムは音楽は大好きだけど、今は医学部進学のための勉強が先。 フランクが「ジャムセッション」をもじって「サムセッション、サムセッション」と大騒ぎで娘を誘うのに笑ってしまう。 サムも根負けして2人で即興セッションをしたら、これがなかなかの出来栄えだ。 娘の才能にすっかり感心したフランク、サムに内緒でインターネットの音楽サイトにアップロードすると、これが思わぬ注目を浴びる。 レコード・デビューしなくても、ネット配信で世界中のたくさんの人に聞いてもらえる。 私自身、動画サイトで遠い国の知らない人の歌をずいぶん聞いている。 映像でも音楽でも、今はネット上で注目を集めればそれなりのステータスを獲得し、収入を得ることさえも可能だ。それが現代なのだな〜、とあらためて思う。 もう1つ、本作がいかにも現代的だと思ったのが、フランクの亡妻が黒人で、サムはハーフであることや、サムの恋人が同性であることだ。 どちらもとくに珍しいことではないけれど、映画でそれらを取り上げるときは何らかの意味 (あるいはメッセージ) が込められていることが多い。 しかし本作ではごく自然にふつうのこととして描いている。そういう設定でなくても成り立つストーリーだし、逆にそういう設定であることに特別の意味はない。 そのさり気なさが新鮮だ。 サムの祖母が軽い認知症で、時々ちょっとしたトラブルを起こすのも同様だ。 サムと作った曲がネット上で人気になり、舞い上がったフランクがバンドを組んでツアーに出ようといい出して、サムに「おばあちゃんを置いてくの」とたしなめられたりする。 高齢化も認知症もありふれた日常生活の一場面だ。 現代ならではの光景がふんだんに盛りこまれているけれど、映画自体はオーソドックスな親子の物語だ。 しっかり者の娘といつまでも夢を追い、なかなか子離れできない父親・・・、2人の間のいき違いやそれでも堅い親子の絆、そして情にクスリ、ほろりとさせられる。 夏の終わり、レコード・ショップ閉店の日。最初で最後の親子ライブはサムの絶唱に感動。 大家で友人のレスリーへのフランクの不器用な恋の予感や、元バンド仲間で今は酒場のオーナー、デイヴ(テッド・ダンソン)との友情など、 ストレートでシンプルでほっこり心温まる映画だった。 【◎○△×】7 |