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【 映画雑感 】No.443

存在のない子供たち


2018年  レバノン/フランス  125分

監督
ナディーン・ラバキー

出演
ゼイン・アル=ラフィーア
ヨルダノス・シフェラウ
カウサル・アル=ハッダード
ファーディー・カーメル・ユーセフ

   Story
 長編デビュー作『キャラメル』で高い評価を受け、女優としても活躍するナディーン・ラバキー監督が、 貧困や移民など中東の社会問題を圧倒的なリアリティで描いた人間ドラマ。

 ベイルートのスラム街に暮らすゼイン(ゼイン・アル=ラフィーア)は、両親が出生届を出さなかったために、自分の誕生日も年齢も知らない。

 シリア難民の両親(ファーディー・カーメル・ユーセフ、カウサル・アル=ハッダード)は身分証がないために正規の仕事につけず、ゼインが大家族を養っている。

 朝から晩まで劣悪な労働を強いられる中で、唯一の心の支えは仲のよい妹サハルの存在だ。ところがある日、サハルは大家でもある雑貨店主と強制結婚させられてしまう。

 怒りと悲しみで家を飛び出したゼインは職を探そうとするが、だれも相手にしてくれない。 途方に暮れたゼインに声をかけてくれたのが、エチオピア移民のラヒル(ヨルダノス・シフェラウ)だった。


   Review
 ナディーン・ラバキー監督の長編デビュー作『キャラメル』(07) はとても好きな映画だ。ベイルートの美容院を舞台にした女性たちの群像劇。
 レバノンは1990年に内戦が収束したというのに、2006年にはイスラエルが再介入し、戦闘が再開した。 けれども映画にはそうした戦塵の気配はなく、厳格な文化の中でもしなやかに生きる女性たちの姿が魅力的だった。

 そのラバキー監督の最新作は、『キャラメル』からは想像もつかない重いテーマに衝撃を受けた。
 冒頭、手錠をかけられた痩せて小柄な少年が法廷に連れてこられる。医師の検診では年齢は12、3歳ぐらいか。主人公のゼインだ。 手錠を外されて原告席に立った彼は、歳を聞かれて「あっち (被告席の両親) に聞いて」とぶっきらぼうに答える。

 なぜ逮捕されたのか、という問いには「人を刺したから」、さらに、今回両親を告訴したのは何の罪でか、と問われて「僕を生んだ罪」と答える。
 大きく見開いた目は深い絶望と悲しみをたたえ、あふれそうな涙がそのまま枯渇してしまったかのよう。


 さまざまな疑問を観客の胸に預けて、映画は時間を遡る。
 そこで描かれるゼインの暮らしはあまりに苛酷で、息をするのも苦しくなるほどだ。

 シリアから難民としてレバノンにやって来た両親は、身分証明書がないために仕事に就くことができない。 子供たちは出生届を出さなかったために、自分の誕生日や歳を知らないだけでなく、社会的には存在すらしていない。

 足の悪い父親に代わってゼインは妹たちと路上で物を売り、大家でもある雑貨店主の手伝いをして家計を支える。
 最底辺の暮らしの中で黙々と働くゼインの小さな身体を見ていると、「僕は地獄を生きている」という彼の言葉の真実に打ちのめされる。

 見かけは幼いけれど、ゼインの心は驚くほど大人びている。仲のよい妹サハルが初潮を迎えたのを知ると、これから起こることを察知して、両親に悟られまいとする。
 それでもサハルが無理やり金目当てで雑貨店主と結婚をさせられると、ゼインは家を出てしまう。

 仕事を探してもだれも相手にしてくれず、お腹はすくし寝る場所もない。そんな時に知り合ったのが、エチオピア移民のラヒルだ。

 彼女は赤ん坊のヨナスの世話を任せる代わりに、ゼインをバラック小屋のような住まいに置いてくれる。
 こうしてやっとゼインは居場所を手に入れることが出来るのだ。

 ラヒルが愛情いっぱいに我が子ヨナスを育てるさまに芯からホッとさせられる。 それを見つめるゼイン・・・、彼がはじめて味わう家庭の味だったのだろう。
 親身にヨナスの面倒を見るゼインの姿からは、彼が本来持っているやさしさが素直に伝わってくるのを感じる。

 ヨナスのバースデイケーキのろうそくを、ゼインが代わりに吹き消す場面がある。映画の中で彼が子供らしい笑顔を見せるのは、ラストシーンを除けばこの時だけだ。 ゼインにとっこの頃がもっともて幸せな日々だったのではないかと思う。

 ラヒル母子との暮らしの中で、彼は「子供には愛される権利がある」ということをはじめて知ったのだろう。 終盤、法廷で彼は両親を告発する、「世話ができないなら、産むな」と。悲痛な叫びが聞く者の胸を直撃する。

 最近日本で幼児虐待死の痛ましい事件が頻発する。テレビに映るいたいけな子供の写真はつらすぎて正視に耐えない。 そしてそのたびにゼインと同じ思いに駆られる、「愛することができないならなぜ産むのか」と。
 こうして “シリアの難民” という特殊性・地域性を超えた、普遍的なテーマに直面させられるのだ。


 ゼインとラヒル母子の平穏な暮らしは長くは続かない。不法就労者のラヒルが警察に拘束され、ゼインは家賃滞納でバラックから追い出されてしまうからだ。 ヨナスを抱き、あるいは台車に乗せて道路をゆくゼイン。
 彼の痩せた背中を見ていると、いつまでも続く理不尽な現実に怒りと悲しみが湧いてくる。

 出演しているのはプロの俳優ではなく、同じ境遇の素人ばかりだという。そのためか演技を超えた迫真性があり、まるでドキュメンタリーを見ているようだ。 本作の正真正銘の映画力を感じさせられる。

 ラスト、写真撮影に臨むゼインにカメラマンが声をかける、「笑って」と。戸惑い、ムッとした顔のゼイン。笑い顔の作り方なんて知らない、 そんな感じだ。「身分証明書用だよ。死亡証明書じゃない」というカメラマンのジョークに思わずニッと唇が歪み、やっと笑い顔になる。

 身分証明書、―ーゼインは “存在する” 子供になったのだーー。
  【◎△×】8

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