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【 映画雑感 】No.454

聖なる犯罪者


2019年  ポーランド/フランス  115分

監督
ヤン・コマサ

出演
バルトシュ・ビィエレニア
エリーザ・リチェムブル
アレクサンドラ・コニェチュナ
トマシュ・ジイェンテク
レシェク・リホタ
ルカース・シムラット

   Story
 少年院を仮釈放となった若者が司祭になりすましていた実話にヒントを得た社会派ドラマ。

 少年院に入っている20歳のダニエル(バルトシュ・ビィエレニア)は神父になる夢を抱くが、 尊敬するトマシュ神父(ルカース・シムラット)に前科者は聖職に就けないと諭される。

 やがてダニエルは仮釈放となり、就職の決まった田舎の製材所に向かうが、ふと立ち寄った小さな教会でマルタ(エリーザ・リチェムブル)と出会う。

 行き先を尋ねられ、とっさについた嘘で新任の司祭と勘違いされたダニエルは、その教会の司祭が病気治療のために村を離れる間、代理を務めることになる。

 司祭らしからぬダニエルに戸惑いながらも、村人は次第に彼に信頼を寄せるようになるが、 そんな中、ダニエルは1年前にこの村で起きた自動車事故が今も村人たちの心に深い傷を残していることを知る。


   Review
 映画序盤、少年院の教官が場を離れた隙に行われるリンチにショックを受けた。 見た目はさほどに激しくはないけれど、ちょっとした台詞でその実態が分かるだけに、息が詰まりそうになる。ダニエルは教官が戻ってくるのを知らせる見張り役だ。

 一方で、彼はトマシュ神父の助手として、定期的に少年院で行われるミサを手伝う。神父を尊敬し、聖職者になる夢を抱いている。
 こうして冒頭で描かれる善と悪が混在した彼の二面性が強烈に観客の意識に刻み込まれ、映画に緊迫感を与える。

 ダニエルは盗みを何度も繰り返し、最後はあろうことか喧嘩の勢いで相手を殺(あや)めて少年院送りになった。
 仮退院の時も、トマシュ神父との約束を破って酒とドラッグに手を出す。クラブの喧騒の中で大きく見開いた眼が 狂気に満ちて異様な印象だ。

 しかしダニエルが田舎の小さな村で偽司祭として暮らし始めると、一転して、映画は坦々と静かなタッチで進む。

 それでも緊張の糸が途切れないのは、いつダニエルの正体がばれるのか、といったハラハラ感のせいばかりではない。 彼を演じるバルトシュ・ビィエレニアの特異な存在感が大きい。

 老女の死に立ち会い、司祭としての自分の無力に打ちひしがれる。さらに村で起こった悲惨な事故と遺族の深い心の傷を知った時、彼の眼に湛えられる悲しみ・・・。 彼の内奥の繊細な感受性が感じられる。

 ダニエルが見よう見真似の告解やミサを行い、少々あぶなかしくても村人たちがそれを受け入れたのは、 彼の語る言葉が作り物ではない衷心から発せられる言葉だったからだろう。
 暴力の衝動に身をゆだねる弱さと善なるものを求める心、どちらもダニエルの真実だ。そうした彼の聖と俗のはざ間に揺れる透明感が印象的だ。

 ダニエルが事故の真相を洗い直し、加害者とされた男の葬儀とミサを行おうとしたのは、 自分の中にある人間としての弱さ、犯した罪の深さに気づいたためではないかと思う。 そして事故加害者と決めつけた男に憎悪と怒りをぶつける村人たちの中にも、同じ弱さと悪がひそんでいることも。

 葬儀とミサ (=赦し) によって村に渦巻く負の感情を清めることが出来たら・・・、彼の中にそんな真摯な願いがあったのかもしれない。


 村人たちの間では猛反発が起こるけれど、ダニエルは信念を曲げない。 そのブレのなさが頑(かたく)なさにも見えて一抹の不安を感じつつも、見事とも思う。
 さらに、村に現れた少年院仲間のピンチェル(トマシュ・ジイェンテク)に「正体をばらす」と脅迫されると、ダニエルはその後のミサで「私は人殺しです」と村人に告白する。 真実から逃げない、という強い意志の表われだ。

 村人の間に動揺が走るけれど、彼らはそれを誰の心にもひそむ悪 (=怒りや憎しみ) を表わす譬え(たとえ)と受け取ったようだ。 むしろダニエルの率直な言葉は彼らの心に深く響いたように思える。

 映画のクライマックスは、加害者とされた男のミサでダニエルが司祭服を脱ぎ、刺青(いれずみ)の入った裸体を村人の前にさらす場面だろう。
 彼の前に現れたトマシュ神父の勧めに従って、ダニエルはひっそりと村を去ることも出来たはずだ。しかし彼はあえてかつ ての荒れた暮らしの禍々しい証拠である刺青をさらして、自らの正体を暴いたのだ。

 ダニエルは背後を振り返って高く掲げられたキリスト像をじっと見つめる。キリストと一体化し刺青の入った身体の浄化を希求するかのような、その眼に引き込まれる。

 村人たちは驚きながらも、静かに彼を受け入れたように思える。
 教会管理人で事故加害者追及の急先鋒リディア(アレクサンドラ・コニェチュナ)ですら、立ち去るダニエルにそっと「神の御加護を」と声をかける。

 これで終わればストーリーはすっきりと胸に収まる。しかしヤン・コマサ監督の凄みはこの後に、少年院に戻ったダニエルが再び暴力の衝動に屈するサマを描くところにある。

 以前から彼を狙っていたボーヌスとの決闘で、ダニエルは仲間が止めなければまたも相手を殺めてしまうぎりぎりまで、血まみれになってボーヌスを殴りつける。
 走り去る彼は冒頭と同じ狂気の眼をしている。人はそんなに簡単に変われるものではない、と思わされる。

 ダニエルは村人たちに “確かに” 変化を起こした。そして彼の中に “確かに” 善は存在する。それでも人は “不確か” なのだ。 その中で揺れ、苦しむのが人間なのかもしれない。
  【◎△×】8

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